登録区分(暫定リストに記載) | 文化遺産 |
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登録基準(暫定リストに記載) | (3) |
申請年(暫定リストに記載) | 2013年 |
中国西北部にある西夏の王陵群は、寧夏回族(ねいかかいぞく)自治区に存在した王朝・西夏(せいか、1038〜1227年)の王族が眠る場所。9つの王陵や254基の墓を含む壮大な墓地群で、ピラミッド状の建造物など、かつてこの地で暮らしていたタングート族の文化を今に残すもの。
ここでは西夏の王陵群がなぜ世界遺産候補なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、西夏の王陵群について詳しくなること間違なし!
西夏の王陵群とは?
中国西北部・寧夏回族自治区に位置し、首府の銀川市から約35km離れた賀蘭山脈(がらんさんみゃく)の東斜面に広がる王陵群。西夏は、11世紀に現在の寧夏回族自治区を中心に発展した王朝で、チベット=ビルマ系の民族の一つ、タングート族によって築かれました。東方にあった王朝・宋や遼、金といった広大な王朝とも競り合ったこともありましたが、政治腐敗によって国勢は凋落し、北方からモンゴル族のチンギス・ハン(1162〜1227年)に侵入を許してしまい、1227年に崩壊。
王陵は11〜13世紀に築かれ、南から北まで細長い敷地に、9つの王陵や254基の関係者の墓、大規模な建造物、レンガや瓦の釜跡などが点在しています。ここは段状のピラミッドのような塔や周壁、門など、華北の王朝の影響を受けているものの、タングート族独自の埋葬様式が見られるのも特徴。副葬品や碑文、石像、建造物の残骸などには、独特の装飾が見られることから、タングート族の文化を今に伝えています。
西夏の王陵群はどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?
西夏の王陵群が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
西夏は中国西方の農耕地帯で発展した文明であり、消滅した王朝であるものの、王陵はその独自の文明の様子を残し、中国だけでなく、タングート族の信仰や芸術などを含めた文化の融合を反映しているのが特徴的であるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
西夏は華北と対立していた時期もありましたが、交流も多く、建造物には中華文明の影響が見られるものの、彼らの信仰や芸術などが建造物や副葬品から見られ、西夏の多様な文化が見られるという点で評価されています。
ちなみに、タングート族は独自性を失ったものの、16世紀には消滅。しかし、現在四川省北部に住む民族・チャン族の言語の一部は、タングート語と比較的近くて、どうやらタングート族はモンゴル帝国によって滅ぼされた後もあちこちと交流し、チベットのほうの人々とも接触して、現代のチャン語が形成されたと考えられています。それもあり、お互いの宗教もよく似ているとか。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。