トルコの世界遺産「クサントス・レトゥーン」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2),(3)
登録年1988年

トルコ南西部、地中海に面したアンタルヤ県とムーラ県には、リュキアというユニークな文化を持つ国家がありました。クサントス・レトゥーンは、リュキア人の伝統とギリシアの文化の融合が見られ、柱の上部に墓を置くという独特の埋葬習慣があったことでも有名です。

ここでは、クサントス・レトゥーンがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、クサントス・レトゥーンについて詳しくなること間違なし!

目次

クサントス・レトゥーンとは?

画像素材:shutterstock

現在のトルコ共和国のあるアナトリア半島南西部、アンタルヤ県とムーラ県の県境近くには、クサントスとレトゥーンという2つの遺跡があります。これらはリュキア文明に属する遺跡で、謎が多いリュキアの文化を現在に残すもの。

リュキアは、小さな都市国家でありましたが、ギリシャやローマ、ビザンティン帝国とも関係を持っていたとされ、独特の文化を持つ国家でした。特にレトゥーンでは、ギリシア語とリュキア語族の碑文があり、リュキア語はかつてはインド・ヨーロッパ語族の独自の言語であったとされています。この碑文により、リュギア語の解読に成功しました。

クサントス

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リュキアの主要都市だったのが、アンタルヤ県に位置するクサントス。リュキアの伝統とギリシャの文化が融合した建築物が残る都市です。遺跡は、岩を切り出した墓や柱の上に置かれた石棺など、埋葬建築もとてもユニーク。これらは近隣にあるボドルムにあり、世界七不思議の一つ・ハリカルナッソスの霊廟などにも影響を与えたほど。ここでは、ハルピュイア(ハーピー)と呼ばれるレリーフもあり、死者の魂を天に導くということを示していたようです。

「クサントス」とは、ギリシャ人がリュキア人の住んでいた都市をこのように呼んだことから名付けられました。記録として残るのは6世紀頃のペルシャ帝国時代から。南部に残るアクロポリスはアレクサンドロス大王によって征服された後、ヘレニズム時代に改築されたもの。敷地内には、保存状態の良いローマ時代の劇場もあり、ビザンチン帝国領であった時代の教会跡も残っています。

レトゥーン

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クサントスから南西へ6km。紀元前6世紀ころに建造された都市とされ、ギリシャによって征服されたのは紀元前4世紀。レトゥーンとは、ギリシャ神話の女神レートーに由来するもの。ここは、リュキア人にとって聖域のようなもので、周辺の都市の支配者が集まり、会議をしたり、宗教儀礼を行った場所とされています。古代ギリシア語、リュキア語、アラム語の三か国語で書かれた碑文が発見されたことでも有名。

クサントス・レトゥーンはどんな理由で世界遺産に登録されているの?

画像素材:shutterstock

クサントス・レトゥーンが評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
クサントスとレトゥーンは、周辺都市の建築様式にも影響を与え、ボドルムにあるハリカルナッソスの霊廟も同様であったという点。

登録基準(iii)
遺跡内で発見された多くの碑文と柱の上部に置かれた石棺などは、ここに独自のリュキア文明が存在していたという証拠であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

クサントスとレトゥーンは、リュキア文明の中心都市であり、彼らの言語や柱の上に置かれた墳墓など、ギリシャとは異なる独特の文化を持っていました。そして、その建築様式は周囲に点在する都市にも影響を与えていたのです。

ちなみに、サンタクロースの起源となった「ミラのニコラオス」は、リュキアのミラという都市の出身。ある意味、サンタクロースはリュキアに由来すると言えるかもしれませんね…。ちなみに、近くのデムレという都市にはイスラム教徒の多いトルコなのに、サンタクロースの像もあったりします。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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