ガウタマ・シッダールタとは、仏教の開祖である釈迦の本名。当時の資料はほぼ存在していないものの、彼はアジアで多く信仰されている仏教の祖となった人物であり、彼が活動したネパールやインドには今でも彼の足跡や遺骨を納めたストゥーパが点在しています。そんなガウタマ・シッダールタとはどういった人物だったのでしょうか?
今回はガウタマ・シッダールタ(ブッダ)がどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ガウタマ・シッダールタについて具体的に理解できること間違いなし!
※こちらではあくまでも世界遺産を知る上で「ガウタマ・シッダールタ」を伝承から解説したものであり、経典に記されている「釈迦」「仏陀」について解説したものでありません。
ブッダの本名とは?ガウタマ・シッダールタ、ブッダ、釈迦の違いとは?

そもそもブッダ(仏陀)とは「目覚めた人」という意味であり、当時の北インドでは修行者や聖者に対する呼称であったものの、仏教で使用されると、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)の尊称となり、一般的な呼称となりました。
彼の本名は釈迦(シャーキヤ)族のガウタマ・シッダールタで、性のガウタマはインド神話に登場するリシ(聖仙)の名前であり、名のシッダールタは「目的を達成した人」という意味を持っています。名はシッダールタですが、一般的には「釈迦族の聖者」という意味の「釈迦牟尼/釈迦牟尼仏(しゃかむに/しゃかむぶつ)」を省略して「釈迦」で呼ばれています。
ガウタマ・シッダールタ(ブッダ)の生涯は?
そもそも釈迦については、一次資料はほぼなく、彼の生涯については弟子や信徒たちが後世に伝えられた人物像であり、以下はあくまでも後世の経典から作り上げられた一般的な釈迦の生涯です。
誕生



ガウタマ・シッダールタは、紀元前7世紀〜紀元前6世紀頃、現在のネパール・ルンビニで生まれたとされます。父は釈迦族の王・シュッドーダナ、母は隣国の娘マーヤー(摩耶夫人)。生まれてすぐに左手を下に向けて「天上天下唯我独尊(この世で自分こそが尊いといったような意味)」と言ったとされ、父は釈迦族の王として育てるため、贅沢な生活をさせました。
しかし、城の外で老人・病人・死人・修行者を見て、人の苦しみを悟り、29歳の時に妻子を残して城を出て、真理を求める修行の旅に出でます。
出家と悟り



シッダールタは断食といった極端な苦行を行うものの、悟りに至ることはできませんでした。35歳ころ、インド北部のブッダガヤの菩提樹の下で瞑想し、解脱の楽しみを味わうと、悟りに達し、「仏陀(目覚めた者)」となったとされています。
その後、彼は近隣のサールナートで最初の説法をし、5人の修行仲間が弟子となった後、多くの弟子を得て、ガンジス川流域を中心にさまざまな場所で40年以上教えを説きました。
ブッダ(仏陀)の教えを簡単に解説
仏教の教えというのは、時代や地域によって大きく異なっていて、そもそもブッダが生前に説いた教えについても、正しくは分かっていません。ただ当時の仏教は、原始的な宗教からの脱却しようとしていたたとされています。
おもにサールナートで説いたのは、四諦(したい、苦しみの真理)、八正道(はっしょうどう、正しい生き方)、中道(ちゅうどう、極端を避ける生き方)などであったとされていて、各地で布教活動を行いました。
ガウタマ・シッダールタ(ブッダ)の死因は?



何十年にも渡り、各地で布教を行っていた釈迦は、80歳の時、最後の旅の途中で病に倒れてしまいました。死の直前、鍛冶屋のチュンダから食事を振る舞われます。その食事(スーカラ・マッダヴァ)を食べた後、激しい腹痛と下痢に襲われてしまいました。これはキノコであったとも豚肉であったとも言われますが、おそらくは「食中毒」になってしまったと考えられます。しかし、これは定かではありません。
衰弱してしまった彼はクシナガラ(現在のインド・ウッタルプラデーシュ州)で弟子たちに最後の教えを説き、死去(入滅)。そして、涅槃に入り、遺骨は8つに分けられ、各地のストゥーパ(仏塔)に納められたとされています。
ガウタマ・シッダールタ(ブッダ)にまつわる世界遺産はこちら!
仏陀の生誕地ルンビニ/ネパール



ルンビニは、ネパール南部のテライ平原に位置する小さな村。ここは釈迦の生まれた地として知られますが、生誕の時期は諸説あり、紀元前7世紀〜紀元前5世紀ころとされています。
19世紀末までルンビニが釈迦の生まれ故郷であったということは知られていましたが、その場所については特定されませんでした。そこで発掘調査を行うと、紀元前3世紀から5世紀まで使用されたと考えられる精舎(僧院)跡が発掘され、現在は生誕地として世界各地から多くの仏教徒が集まります。
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ブッダガヤの大菩提寺/インド



ブッダガヤは、インド北東部ビハール州パトナから約100kmの距離に位置し、釈迦が菩提樹の下で悟りを開いた地とされています。ここは仏教の4大聖地の1つで最も重要な聖地。この地にある大菩提寺(だいぼだいじ)はマハーボディ寺院とも呼ばれます。
この寺院で最も重要な神聖な場所は、本堂西にある巨大な「菩提樹」。これは釈迦が悟りを開いた時にすぐそばにあった菩提樹の子孫であると考えられています。
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世界遺産マニアの結論と感想
仏教の祖としての釈迦については広く伝わるところですが、彼の姿はあくまでも後世の人々によって築かれた「ブッダ」であり、本当のガウタマ・シッダールタについてはあまりよく分かっていません。しかし、彼の教えは、苦しみの原因とその克服方法に焦点を当てていることから、アジアで広まっていったのです。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。