クフ王とはどんな人物?墓やミイラを含めて世界遺産マニアが解説

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クフ王(在位:紀元前2589年〜紀元前2566年頃)は世界最大のピラミッドを築いた人物として有名。ピラミッド内部の王の間の上から「クフ」という名前が発見されたことから、ピラミッドを築いた人物であると推測されています。クフ王とはどういった人物だったのでしょうか?

今回はクフ王がどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、クフ王について具体的に理解できること間違いなし!

目次

クフ王とはどんな人物?

クフ王のピラミッド(ギザの大ピラミッド)
画像素材:shutterstock

首都カイロ市の南西部にあるギザの台地には、第4王朝(紀元前2613年頃〜紀元前2498年頃)のファラオであるクフ王、カフラー王、メンカウラー王の三大ピラミッドがあり、クフ王のピラミッドは北側に位置します。その中でもクフ王の高さは138.5m(完成時は146.6m)で、世界最大のピラミッド。

1837年にピラミッド内部から「クフ」という名前が発見されたため、現在はこのピラミッドはクフ王のものと特定されています。彼の名前は正しくはクヌム・クフという名前であるものの、カルトゥーシュと呼ばれるファラオの名前を囲まれた誕生名である「クフ」という名前が一般的。とはいえ、ファラオは5つの称号を持つとされ、クフも「メジェドゥ」というホルス名で当時の記録では用いられています。

クフ王の像
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これだけ大きなピラミッドを築いたクフ王は、第4王朝の2代目の王であり、絶大な権力を持っていたとされるものの、彼の正式な記録はほとんどなく、ギザのネクロポリスで発見された碑文と、エジプト各地で残るレリーフや発見されたパピルス、後世の文学作品などから、かろうじて人物像が分かる程度。ほぼ完全な形で現存する像も小さな立像のみと謎の多い人物です。

ちなみに、立像はエジプト考古学博物館で展示されていたもので、あまりにも小さいことからお守りのようなものであったと推測されていて、中王国(紀元前2040年頃〜紀元前18世紀頃)に造られたという説もあります。

クフ王のピラミッドの制作過程の予想図
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紀元前3世紀の歴史家のマネトやギリシャの歴史家たちは、彼のことを暴君として扱っていますが、これは根拠がまったくありません。ギリシャの歴史家ヘロドトスはピラミッドの作業者を「奴隷」と記していますが、現代ではその説は否定されています。ただ当時の平民たちの間では、不人気であった可能性もあるといえばありますが、これはクフの生きた時代から2000年も経ってから記載された情報である時点で根拠も薄いもの。

唯一、確実に分かることとして、彼はシナイ半島で発見されたレリーフでは鉱石探索に力を入れていたこと、エジプト東海岸からは発見されたパピルスからは少なくとも彼の治世は27年は経過していたことかが分かり、長らく王位に就いていたということくらい。

クフ王の墓は発見されていない?ミイラはどこ?

ヘテプヘレス王妃の副葬品
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クフ王のピラミッド内部には王の間と呼ばれる空間があり、そこには石棺があるものの、現在までにさまざまな記録が残されていますが、ここで王のミイラを発見したという記録はありません。石棺はあるのに王のミイラがないという不思議…もちろん、盗掘された可能性もゼロではありません。

これを解決するヒントとして、1925年にはクフ王の母であったとされるヘテプヘレス王妃の副葬品がピラミッドから離れた位置にある竪坑から発見されたという点。そもそもピラミッドはマスタバと呼ばれる、ベンチ形墳墓の構造から発展したもので、これは建物部分と地下の竪穴の2つで構成されています。

そうであれば…ピラミッドの近くにこそ「クフ王の本物の棺」があるということになり、実際に空白地帯もあることから、考古学者の吉村作治氏も探索を続けています。しかし、この竪穴はクフ王によって再埋葬された説もあり、まだまだ確実なことはわかっていないという段階。

クフ王にまつわる世界遺産はこちら!

クフ王のピラミッド(ギザの大ピラミッド)

クフ王のピラミッド(ギザの大ピラミッド)
画像素材:shutterstock

世界最大のピラミッド。年代ははっきりとはしていませんが、紀元前2700年〜紀元前2500年ころに建造されたとされ、化粧岩に囲まれた、光り輝く四角錐の建造物でした。平均で2.5トン前後とされる石材が230万個も使用されていると推定され、容積は合計で259立方m。

クフ王のピラミッドは、実は他のピラミッドと比べると、内部構造が独特で、一般的にピラミッドの玄室は地下に配置されるものですが、内部には下から地下室、女王の間、王の間という3つの空間や通路、大回廊など、非常に複雑な構造となっています。これは途中で建設計画が変更されたという説が一般的。

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世界遺産マニアの結論と感想

世界最大のピラミッドを築いた人物であるクフ王は、偉大な人物である…とは思われるのですが、実はほとんど何もわかっていなくて、ミイラもまだ発見されていません。そして、ピラミッドすらも彼の「墓」かどうか、まだ結論がでておらず…手探りな状態なのです。

しかし、クフ王(正しくはこのピラミッドを建造した人物)は人類の歴史においては、初めて巨大建造物を作ったという偉業を達成した人物であることは間違いはなそうですね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1200以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定マイスター認定済。

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