ペリクレス(紀元前495年?〜紀元前429年)は、古代アテネの政治家であり、将軍であり、最盛期を築き上げた人物。世界遺産に登録されているアクロポリスの中でもパルテノン神殿を築いたことでも知られます。そんなペリクレスとはどういった人物だったのでしょうか?
今回はペリクレスがどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ペリクレスについて具体的に理解できること間違いなし!
ペリクレスとはどんな人物?

ペリクレスは、古代アテネの軍人の家に生まれ、彼自身も「将軍職(ストラテゴス)」という最高職を15年も務めた人物。当時のアテネは隣国のアケメネス朝ペルシャと戦争(紀元前499年〜紀元前449年)に勝利したということもあり、黄金時代(紀元前5世紀)の指導者として知られています。彼はアテネの民主制の強化に大きく貢献し、市民が政治に積極的に参加できる仕組みを整えたことでも有名。
彼はアテネを強力な海軍国家として確立し、デロス同盟(ギリシャ諸都市国家の軍事同盟)を通じてアテネの支配力を強化。ペロポネソス戦争(紀元前431年〜紀元前404年)が始まる前まではアテネの全盛期を築きました。しかし、紀元前429年にアテネを襲った疫病により、彼自身も命を落としてしまいます。
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アテネのアクロポリス/ギリシャ



ギリシャのアッティカ地方にある首都アテネには、イッソス川の渓谷に標高156mの石灰岩の丘があり、丘の上は「アクロポリス」と呼ばれ、これは「高い丘にある都市」というような意味を持つもの。
紀元前6世紀にはアテネの守護神である女神アテナの神殿を中心とした聖域へと発展。しかし、紀元前5世紀にペルシャ戦争の時に、丘の上の建造物はすべて破壊。そこで戦争の英雄であるペリクレスによってほとんどが再建され、特にシンボル的な存在であるパルテノン神殿は彼自身が彫刻家ペイディアスに依頼して、総監督を務めたもの。
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世界遺産マニアの結論と感想
ペリクレスは、政治家としてだけでなく、アクロポリスを整備したことから、文化の面においても多いに貢献した人物。そして、彼は非常に演説が上手な人物で、特に歴史家トゥキュディディスによって残された「葬儀演説」などが残されていて、現在の政治家のお手本ともなっているのです。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。