フィリップ2世(1165〜1223年)は、カペー朝の7代目の王であり、それまでパリ周辺でしかなかった王権を南フランスまで拡大したことから偉大な王、尊厳王(オーギュスト)と称されています。そんなフィリップ2世とはどういった人物だったのでしょうか?
今回はフィリップ2世がどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、フィリップ2世について具体的に理解できること間違いなし!
フィリップ2世とはどんな人物?

フィリップ2世は、フランス王・ルイ7世(1120〜1180年)の子として生まれ、1180年に15歳で即位しました。当時の王国の領土は広かったものの、国内は地方領主が権限を持ち、王権はまだ弱体でした。アンジュー帝国は現在のイングランドやフランス西部を領土としていて、イングランド王とは親戚であるものの、フランス王国は多くの領土を奪われ、劣勢でした。そんななか、フィリップ2世は第三回十字軍(1189〜1192年)に参加し、イングランド王のリチャード1世よりも早く帰国し、アンジュー帝国と戦う準備を整えます。
リチャード1世は戦争の途中で死去し、弟のジョン王が即位すると、ジョンは領地支配に失敗し、貴族の支持を失っていきました。結果的にフィリップ2世はそれまで支配されていたアンジュー、ノルマンディーなどのヨーロッパの領土の大半を得ることになります。そして、彼は内政においてもパリ大学の設置し、領内にバイイ(国王代官)を派遣されて支配体制を確立。パリを発展させ、現在のフランス王国の基礎を作り上げた後、1223年に死去します。
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モン=サン=ミシェルとその湾



フランス北西部マンシュ県の南部にあるサン・マロ湾は、潮の満ち引きが激しい湾。広大な砂州の中にある岩山にそびえるのが、モン=サン=ミシェルの修道院です。11〜16世紀に自然環境に対応し、少しずつ拡大していった修道院は「聖なる山」として巡礼者が多く訪れる聖地。
13世紀にはフィリップ2世によって、修道院の北側にゴシック様式の建造物が造られます。これは「ラ・メルヴェイユ(脅威の建築)」と呼ばれ、低層階は巡礼者の宿泊施設、中層階は貴族や騎士のための部屋、最上階は修道士の居住スペースでした。
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世界遺産マニアの結論と感想
フィリップ2世は、イングランド王からフランスの大部分を奪ったことで、王権が強化され、後のフランス王国の基盤を築いたという点で偉大な王でもあります。一方、彼の時代にパリは大幅に整備され、フランスの首都としての基盤が整えられたというのもポイントですね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。