マリー・アントワネットとエリザベート(エリーザベト)は、ヨーロッパで「王妃」と聞いて思い浮かべる代表的な存在です。しかし、この二人の間に直接的な接点はありません。とはいえ、王妃でありながら、それぞれ波乱に満ちた人生を歩んでいきました。
今回はマリー・アントワネットとエリザベートの関係を世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、その関係について具体的に理解できること間違いなし!
マリー・アントワネットとエリザベートとはどんな関係?

マリー・アントワネット(1755〜1793年)はオーストリア・ハプスブルク家の皇女で、後にフランス王ルイ16世の王妃となりました。一方、エリザベートはバイエルン王家の血を引き、のちにオーストリア皇后となった女性です。血縁関係は直接にはありませんが、どちらもハプスブルク家と関係のある存在であり、広い意味では同じ王族の構成員といえるでしょう。
ただし、マリー・アントワネットが1755年生まれ、エリザベートが1837年生まれと、およそ80年もの開きがあり、時代をともにすることはありませんでした。
マリー・アントワネットはどんな人物?



マリー・アントワネットは、オーストリア皇女として生まれ、フランス王ルイ16世の王妃となりました。絢爛豪華な宮廷生活を送り、『ベルサイユのばら』などの漫画でもその姿が描かれています。しかしフランス革命が勃発すると、贅沢の象徴として民衆の怒りを買い、やがて捕らえられ、1793年に断頭台の露と消えました。
一方で、彼女はファッションリーダーとしても知られ、多くの流行を生み出したことも事実です。
エリザベート(エリーザベト)はどんな人物?



エリザベート(1837〜1898年、通称「シシィ」)は、バイエルン王家の公女として生まれ、わずか16歳でオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と結婚しました。彼女は抜群の美貌と自由を愛する気質で知られ、厳格な宮廷生活に苦しみ続けます。
晩年は孤独に過ごし、1898年にスイスのジュネーヴで無政府主義者に暗殺され、その波乱の生涯を閉じました。日本でも宝塚歌劇団のミュージカル『エリザベート』によって非常に人気が高い人物です。
世界遺産マニアの結論と感想
マリー・アントワネットとエリザベートは、確かに同じ王族、ハプスブルク家に関連する人物ですが、生きた時代も背景も大きく異なります。性格も対照的で、マリーは王宮内の華やかなファッションリーダーとして、エリザベートは王宮を離れ、自由に憧れた人物でもありました。
また、マリーはそれほど美貌で語られることは少ない一方、エリザベートは「絶世の美女」とも称されたほど。そのため、キャラクター性もかなり違っています。それでも、どちらも漫画・映画・ミュージカルと、今なお人々の心をとらえ続ける「麗しい王妃」であるというのも共通でしょうか?
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。