マリー・アントワネットとエリザベートはどんな関係?世界遺産マニアが解説

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マリー・アントワネットとエリザベート(エリーザベト)は、ヨーロッパで「王妃」と聞いて思い浮かべる代表的な存在です。しかし、この二人の間に直接的な接点はありません。とはいえ、王妃でありながら、それぞれ波乱に満ちた人生を歩んでいきました。

今回はマリー・アントワネットとエリザベートの関係を世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、その関係について具体的に理解できること間違いなし!

目次

マリー・アントワネットとエリザベートとはどんな関係?

画像素材:Winterhalter_Elisabeth_2(Wikimedia Commons)、shutterstock

マリー・アントワネット(1755〜1793年)はオーストリア・ハプスブルク家の皇女で、後にフランス王ルイ16世の王妃となりました。一方、エリザベートはバイエルン王家の血を引き、のちにオーストリア皇后となった女性です。血縁関係は直接にはありませんが、どちらもハプスブルク家と関係のある存在であり、広い意味では同じ王族の構成員といえるでしょう。

ただし、マリー・アントワネットが1755年生まれ、エリザベートが1837年生まれと、およそ80年もの開きがあり、時代をともにすることはありませんでした。

マリー・アントワネットはどんな人物?

画像素材:shutterstock

マリー・アントワネットは、オーストリア皇女として生まれ、フランス王ルイ16世の王妃となりました。絢爛豪華な宮廷生活を送り、『ベルサイユのばら』などの漫画でもその姿が描かれています。しかしフランス革命が勃発すると、贅沢の象徴として民衆の怒りを買い、やがて捕らえられ、1793年に断頭台の露と消えました。

一方で、彼女はファッションリーダーとしても知られ、多くの流行を生み出したことも事実です。

エリザベート(エリーザベト)はどんな人物?

画像素材:shutterstock

エリザベート(1837〜1898年、通称「シシィ」)は、バイエルン王家の公女として生まれ、わずか16歳でオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と結婚しました。彼女は抜群の美貌と自由を愛する気質で知られ、厳格な宮廷生活に苦しみ続けます。

晩年は孤独に過ごし、1898年にスイスのジュネーヴで無政府主義者に暗殺され、その波乱の生涯を閉じました。日本でも宝塚歌劇団のミュージカル『エリザベート』によって非常に人気が高い人物です。

世界遺産マニアの結論と感想

マリー・アントワネットとエリザベートは、確かに同じ王族、ハプスブルク家に関連する人物ですが、生きた時代も背景も大きく異なります。性格も対照的で、マリーは王宮内の華やかなファッションリーダーとして、エリザベートは王宮を離れ、自由に憧れた人物でもありました。

また、マリーはそれほど美貌で語られることは少ない一方、エリザベートは「絶世の美女」とも称されたほど。そのため、キャラクター性もかなり違っています。それでも、どちらも漫画・映画・ミュージカルと、今なお人々の心をとらえ続ける「麗しい王妃」であるというのも共通でしょうか?

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1200以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定マイスター認定済。

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