負の遺産とは、戦争や人種差別など、「人類の教訓」としての戒めの遺産です。とはいえ、危機遺産と違って、公式にユネスコが分類していないもの。どういったものが登録されているのでしょうか?
そんな負の世界遺産を世界遺産マニアが分かりやすく解説。「負の遺産」と考えられている遺産も一覧にして加えました。これを読めば、負の世界遺産について詳しくなること間違いなし!
負の遺産とはどんなもの?基本的な考え方
実は負の遺産のカテゴリーは、世界遺産条約にはなく、一般的に「負の遺産」とされていてもユネスコでは非公式になっています。実は英訳もないので、負の遺産と呼んでいるのは日本だけ!日本人が勝手に解釈しているものと考えられますが、実際はそうでもないんです。
世界遺産条約では、登録基準(vi)があり、これは無形の出来事を評価しています。その中でも、世界で最初の世界遺産の中に奴隷貿易が行われた「ゴレ島」は(vi)に含まれているので、負の遺産のようなものもカテゴリーとして想定しているといえます。つまり、人類が犯した戦争や人種差別などをいつまでも記憶できるような遺産。それが「負の遺産」と考えてもいいでしょう。
では、どういったものが「負の遺産」になるの?
これに関しては諸説あるのですが、負の遺産の代名詞的存在がポーランドの「アウシュヴィッツとビルケナウの強制収容所」でしょう。ナチスがユダヤ人を含む多くの人々を収容し、大量虐殺を行ったという点では、負の遺産として人類の進むべき方向性などを考えさせる遺産でもありますね。
日本でいえば「広島平和記念碑(原爆ドーム)」も、第二次世界大戦の悲惨さを伝える負の遺産として世界的によく知られています。こういった反人道的な行為を反省し、平和をより考えさせる、それこそが負の遺産といえます。
負の遺産と考えられている遺産一覧
こちらマイナビ出版『世界遺産大辞典』で「負の遺産」と紹介しているものや一般的に呼ばれているものを集めました。あくまで世界遺産マニアの「個人的見解」でもあります。
アジア
原爆ドーム(広島平和記念碑)/日本
1945年8月6日、世界で初めて原爆が落とされた日。爆弾が投下された付近で唯一残存した建築物が広島物産陳列館であり、後に原爆ドームになったのです。ここは人類にとって忘れてはいけない記憶を残すため、広島の市民によって大切に保存されてきました。その努力もあり、1996年に世界平和と核兵器の廃絶を願って世界遺産に登録されています。
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バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群/アフガニスタン
アフガニスタン中央部にあるバーミヤン遺跡は、1〜13世紀にかけて仏教文化が花開いた場所。バーミヤンの近郊に作られた石窟仏教寺院には、数多くの仏像や壁画がありました。2001年3月には2つの大仏がタリバンによって破壊され、危機遺産に登録されたという悲劇の遺産でもあり、タリバン政権は、偶像崇拝を禁止するという理由だけで遺跡を爆破。大仏だけでなく、壁画も8割ほど失われたとされます。
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ハトラ/イラク
イラク共和国北部のニーナワー県の砂漠地帯に位置する都市遺跡。ここは現在のイラクからパキスタンまで広がる帝国を築いたパルティアによって、紀元前1世紀ころ建造された軍事都市でした。2015年にイスラム過激派であるISILによってこの遺跡が占拠され、やがて破壊。2017年に奪還されたものの、現在に至るまで危機遺産リストからは解除されていません。
ヨーロッパ
アウシュヴィッツ=ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940年-1945年)/ポーランド
ポーランド南部にあるオシフィエンチム市の郊外に作られた強制収容所は、ナチスドイツによって設立された強制収容所であり、劣等民族を処分するという「絶滅収容所」としての役割がありました。近隣にあるビルケナウ収容所を含めて、多くのユダヤ人をはじめ、少数民族などもここで殺害。収容所は20世紀における人類の残虐行為のシンボルである、日本では負の遺産として登録されています。
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モスタル旧市街の古い橋の地区/ボスニア・ヘルツェゴビナ
ボスニア・ヘルツェゴビナ南部のネレトヴァ川沿いにあるモスタルは、15世紀にオスマン帝国によって支配されると「モスタル」と呼ばれるようなりました。オスマン帝国時代に建造された古い橋(スタリ・モスト)は、1990年代のボスニア戦争によってほとんどが破壊。しかし、2004年にユネスコと各国の援助によって復元され、国際協力、民族と宗教の和解のシンボルとなっています。
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アフリカ
ゴレ島/セネガル
セネガル沿岸にある首都ダカールから3.5km離れた小さな島は、かつて人類史上、前例のないほどの奴隷貿易が行われた地でもあります。「奴隷の家」など、カラフルな家々が残っており、現在でもその名残が残っています。ここは「負の世界遺産」として人類の忘れていけない記憶が残る場所。
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ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群/ガーナ
ガーナはかつて「黄金海岸」と呼ばれるほどの金の産地でした。ペナン湾沿いには約500kmの距離に渡って1482年から1786年まで、ヨーロッパ人によって築かれた要塞を持つ交易所が残っています。ここは象牙や真鍮(しんちゅう)、香辛料、奴隷などの交易所として利用されていました。これらはヨーロッパ列強の商人がアフリカの商品を交換した場所で、奴隷の収容所や監獄などの跡が今でも見られます。
キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群/モザンビーク
首都ダルエスサラームから南へ約300km。海岸の近くには2つの島が浮かび、そこにはキルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの2つのイスラム都市国家の遺跡が残っています。13~16世紀にかけてキルワ・キシワニは金、銀、真珠、陶器などの交易で大いに繁栄し、モロッコの旅行家イブン・バットゥータも記録するほど。島にはモスク、宮殿、要塞などの遺構が残り、これらはアラブや中国の建築様式も見られます。
ロベン島/南アフリカ
南アフリカの西南部にあるケープタウンは、アフリカ有数の大都市。その沖合に浮かぶロベン島は、17〜20世紀には刑務所や隔離病棟、基地など、さまざまな用途で使われてきました。20世紀後半からは強制収容所としてネルソン・マンデラなどの政治犯が収容されていたことでも有名で、現在はアパルトヘイトから自由を勝ち取ったシンボルとして世界遺産に登録されています。
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ザンジバル島のストーン・タウン/タンザニア
タンザニアの首都、ダル・エス・サラームの北に浮かぶザンジバル島。島の西海岸に位置するストーン・タウンは、イスラムを基盤にアジア・ペルシャ系の文化とアフリカの土着の文化が入り混じった、スワヒリ文化が見られる都市です。ここはアフリカから奴隷や象牙、金などを輸出し、東西交易の中継地として栄えました。
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クンタ・キンテ島と関連遺跡群/ガンビア
アフリカ西部を流れるガンビア川。その河口は、ヨーロッパの航海者がインドへの航路の中継地であり、ここからアフリカ内陸部へ向かうルートとして重要な場所でもありました。ここは19世紀に放棄され、5mにも及ぶ防壁と塔が残り、奴隷の詰め所などの遺構も見られます。
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アープラヴァシ・ガート/モーリシャス
ポート・ルイスはモーリシャスの首都であり、トルー・ファンファロン港の近くに位置するのが、ヒンディー語で「移民発着所」などを意味するアープラヴァシ・ガートがあります。1834年に奴隷の代わりに「契約移民労働」という新たな労働力を利用するための実験場としてこの島が選ばれ、1834年から1920年までそ約50万人の人々がここから島のプランテーションやアフリカ、カリブ海に移送されました。
ル・モーンの文化的景観(ル・モーン・ブラバン)/モーリシャス
モーリシャスの南西にある半島は、標高556mのル・モーン山があり、ここはラグーンで囲まれた絶景が堪能できるスポットです。今は観光地として有名ですが、実はここは18~19世紀に奴隷が隠れ住んだマルーン(逃亡奴隷)として知られる場所でした。山頂や洞窟には集落が造られ、やがて「マルーン共和国」と呼ばれるようになったのです。
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オセアニア
ビキニ環礁核実験場/マーシャル諸島
マーシャル諸島は、南太平洋に浮かぶミニ国家で、かつてはアメリカ合唱国の信任統治領でした。ここは人口密度が低いということで、第二次世界大戦後、冷戦が始まったことから、1946~1958年まで核実験が67回も行われました。特に1954年に水爆実験によって形成された巨大なブラボー・クレーターなどは現在でも残り、ここは核時代の幕開けを象徴する場所です。
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オーストラリアの囚人遺跡群/オーストラリア
18〜19世紀に大英帝国が拡大していく中で、当時のオーストラリア大陸は英国の植民地であったために、ここは流刑地として数千もの囚人収容所が建造されました。その中でも11の収容所が世界遺産に登録。
世界遺産マニアの結論と感想
負の遺産の定義は難しいですが、ここで大事なのが「人類が恥ずべき歴史」を残すことであって、ここもそうだ!とかリスト化することではないので…もしかしたら、「ここが入っていないのはおかしい!」というご意見もあるかもしれませんが、そこはご勘弁を。
原爆ドームのように核の恐ろしさをこの原題に残しておくことで、最後の最後で踏みとどまる…そんな存在が負の遺産だというのが個人的見解です。
※写真はイメージです
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。