メキシコ南東部のユカタン半島にあるパレンケ遺跡では、1952年に大発見がありました。遺跡内にある碑文の神殿と呼ばれるピラミッドの地下室では、かつてパレンケの王であったと思われる王の遺体と石棺が見つかり、それまでのメキシコにおける「神殿」の概念が覆ったもの。
今回はパカル王の石棺とパレンケの仮面について世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、具体的に理解できること間違いなし!
パカル王とは一体どんな人物?
パレンケの都市としての起源は4世紀に遡ります。そして、6世紀にはこの地方の中心都市となり、8平方kmもの敷地内には500もの建築物が現存し、他都市の交流も盛んでした。人や動物などを描いた美しいレリーフも点在。しかし、他のマヤ文明の都市と同じく、10世紀には廃墟になってしまいます。
パカル王は通称で、正式には「キニチ・ハナーブ・パカル1世」と呼ばれ、キニチは「偉大な王」、パカルは「盾」を意味しています。彼が12歳(推測)で即位したころのパレンケは不安定な国家ではあったのですが、死去する80歳(推測、死亡した年については諸説あり)ころには大国であったとされることから、遺跡内には彼が作り上げた建造物が多く残っています。
碑文の神殿で発見されたパカル王の石棺と仮面
碑文の神殿は、ピラミッド型になっており、パレンケ遺跡の中で最も高い建造物。神殿の最上階の部屋からはパレンケ王家の歴史が記された碑文があり、マヤ文字が掘られていることからこの名が付けられました。そして、1952年には神殿の地下に石棺が発見。
この発見により、それまでは中米のピラミッドは「神殿の土台」だと考えられていたのですが、遺体が発見されたことから定説を覆すこととなったのです。
パカル王の石棺には、ロケットにまたがった宇宙飛行士が刻まれているというトンデモ説がありますが…これはロケットではなく、トウモロコシをイメージした装飾であるというのが一般的です。
そして、石棺の中には、翡翠をつなぎ合わせた仮面を付けた人骨が入っていて、この人物がパカル王であったと特定されています。現在はパカル王の仮面は、メキシコシティの国立人類学博物館で保管されていて、発見時の様子も再現。
世界遺産マニアの結論と感想
パカル王はパレンケを大国へと発展されたことから、遺跡でも最も高い建物の下に埋められ、豪華な石棺と翡翠の仮面で覆われて葬られたと考えられています。そして、なんといってもパカル王は、神殿の下に埋められていたということで、メキシコの考古学の概念を大いに変えたという点でも「偉大な王」ということにもなるでしょうか。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。