ツタンカーメンといえば、古代エジプトの中でも特に有名なファラオの一人です。そして、エジプトといえばピラミッドを思い浮かべる方も多いでしょう。ところで、この二つにはどんな関係があるのでしょうか?
今回はツタンカーメンとピラミッドの関係を世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、その関係について具体的に理解できること間違いなし!
ツタンカーメンとピラミッドはどんな関係?

ツタンカーメンとピラミッドの関係は、実はほとんどありません。ピラミッドが主に築かれたのは古王国時代(紀元前27世紀頃〜紀元前22世紀頃)から中王国時代(紀元前21世紀頃〜紀元前18世紀頃)にかけての時代なのですが…
一方で、ツタンカーメンが即位したのは新王国時代(紀元前16世紀頃〜紀元前11世紀頃)であり、その間には約1000年以上の時間の隔たりがあります。つまり、ツタンカーメンがファラオだった時代には、すでにピラミッドの建設は行われておらず、代わりにファラオは岩窟墓地(王家の谷など)に葬られていました。
エジプトのピラミッドとは?



ピラミッドの内部からはミイラが発見されていないため、建設目的は今でもはっきりとはしていません。とはいえ、現在はファラオのための葬祭記念物として築かれた巨大な石造建造物と考えられているのが通説。最も有名なのは、クフ王が建てたとされるギザの大ピラミッドで、世界最古の七不思議の一つにも数えられています。
古王国時代のピラミッドは、王権の絶対性を象徴するという要素が強いものでした。しかし、時代の移り変わりとともにその形式は変化し、新王国時代のファラオの墓は、ルクソールのように岩を削って造る墓が主流となっていきました。
ツタンカーメンはどんな人物?



ツタンカーメン(在位:紀元前1335年〜紀元前1327年)は紀元前14世紀に在位した若きファラオで、わずか9歳で即位し、その後10年足らずでこの世を去ったとされています。彼の治世は短く、歴史的には比較的影響が少ないファラオ。
しかし、1922年に発見された彼の墓は、ほぼ未盗掘のまま残っていたことから、黄金のマスクをはじめとした豪華な副葬品が話題となっており、彼の名は世界的に知られるようになりました。その墓はルクソール近郊の「王家の谷」に位置し、彼のためにピラミッドなどは築かれていません。
世界遺産マニアの結論と感想
ツタンカーメンは確かに古代エジプトを象徴するファラオのひとりですが、彼とピラミッドとの間に直接的な関係はほとんどありません。現在見られるピラミッドは主に古王国時代や中王国時代に築かれたものであり、ツタンカーメンが生きた新王国時代にはすでに廃れた習慣でした。
ピラミッドとツタンカーメンは同じ「古代エジプト」という大きな枠組みで語られることが多いですが、歴史的には時代背景も葬送文化も大きく異なっているのです。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。