エジプトの世界遺産に登録されたピラミッドの数はいくつある?その場所を一覧にして世界遺産マニアが解説

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文献によって異なるものの、現在のエジプトには、小規模なものや崩壊したものを含めると、合計で300以上もピラミッドがあると言われています。世界遺産としては、ギザの3大ピラミッドはもちろん、古いものから崩壊したものまで、38基ものピラミッドが登録されていますが、どんなものが登録されているでしょうか?

ここでは、エジプトで世界遺産に登録されているピラミッドの中でも規模が大きく、代表的なものを世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説。それぞれの遺産を簡潔に解説していきましょう。

目次

ピラミッドの歴史は?作り方については今でも謎

そもそもピラミッドはいつ頃建造された?そのルーツは?

ジェセル王の階段ピラミッド/サッカーラ(サッカラ)
画像素材:shutterstock

世界で初めて建造されたとされるピラミッドは、紀元前2667年〜紀元前2648年ころに建造されたとされる、サッカーラの「階段ピラミッド」。これは紀元前3100年以前の先王朝時代からこの地に築かれていた「マスタバ(アラビア語で「ベンチ」という意味)」と呼ばれる、小規模の墳墓が巨大化したものとされています。

マスタバは、日干し煉瓦を積み重ねた長方形の建造物で、内部には坑があり、その底に玄室が築かれ、壁にはレリーフなどが描かれていました。このマスタバを積み重ねた完成させたのが、階段ピラミッドと考えられています。

ギザの大ピラミッド(クフ王のピラミッド)は世界一の高さを誇るもの

ギザの三大ピラミッド
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その後、サッカーラ南部のダハシュールで勾配を持つ屈折ピラミッドを経て、我々がよく知る真正ピラミッドが完成しました。カイロ郊外のギザにて、高さ146mもの世界一高いギザのピラミッドが築かれ、これは技術力の頂点となったもの。

しかし、その後のカフラー王やメンカウラー王の時代になると、ピラミッドは縮小され、後の第5王朝や第6王朝のピラミッドはレンガを使用したため、保存状態が悪く、ほとんど残っていません。エジプト中王国時代の第12王朝時代にピラミッド造りが再開されるも、これもレンガが使用されたため、ほぼ崩壊してしまっています。

作り方はさまざまな説があって今でも謎が多い

ギザの三大ピラミッド
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ピラミッド建設の目的は21世紀になっても定説がなく、内部では王の遺体が現在まで発見されておらず、王墓説も否定されているため、現在も学者によって説はバラバラ。一般的には「葬祭記念物」という扱いにはなっていますが、結論は出ていません。

その建築法についても、ギザのピラミッドについては200万個もの巨石のブロックが積み上げられていて、具体的な建築法が今でもわかっていません。近代では公共事業説や奴隷を利用して建造されたとされる一方、最近は作業小屋の近くで王を賛美するテキストも見つかっていて、実は強制労働ではなかったとも考えられ、ますます謎は深まるばかり。

ジェセル王の階段ピラミッド/サッカーラ(サッカラ)

ジェセル王の階段ピラミッド/サッカーラ(サッカラ)
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首都カイロから南へ約30kmの距離にあるサッカーラ(サッカラ)の遺跡群。ここはエジプト第2王朝時代から墳墓があり、その中でも有名なのは第3王朝のファラオ・ジョセル王(在位:紀元前2668年〜紀元前2649年)の階段ピラミッドです。

これは日干し煉瓦を積み上げた墓・マスタバを5層にも重ねた構造になっていて、世界最古のピラミッドであり、高さ62mとサッカーラで最も高いピラミッドでもあります。地下には、封鎖されていた石棺が残るものの、かつて盗掘に遭ったために遺体などは残存していません。

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スネフェル王の屈折ピラミッド/ダフシュール

スネフェル王の屈折ピラミッド/ダフシュール
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首都カイロからから南へ約40kmにあるダハシュール。ここにはかの有名なギザのピラミッドを建造したクフ王の父であり、第4王朝(紀元前2613年頃〜紀元前2498年頃)の創設者であるスネフェル王(紀元前2600年前後)のピラミッドの一つ、屈折ピラミッドがあります。

高さは105m、底辺は189mで、途中で傾斜角度が変わっているのが特徴。上部が43度22分、下部は54度27分となっていて、これは製作途中に同時期に建造していたピラミッドが崩れたため、工法を変更したという説もあり、何かしら崩壊の可能性があったとされています。

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スネフェル王の赤いピラミッド/ダフシュール

スネフェル王の赤いピラミッド/ダフシュール
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屈折ピラミッドから1kmほどの距離にあり、高さは105mとエジプトではギザのクフ王、カフラー王に次いで3番目に高いピラミッドとなっています。建設に関しては、はっきりとはしていないのもの、紀元前2590年ころから始まったと考えられ、傾斜はそれまでのピラミッドとは異なり、底辺から頂上まで約43度という角度が変わらない世界初の真正ピラミッドでした。

後に外壁を覆っていた白い石灰石が削られていき、むき出しの花崗岩が赤く見えることから「赤いピラミッド」と、後世で名付けられました。

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クフ王のピラミッド(ギザの大ピラミッド)/ギザ

クフ王のピラミッド(ギザの大ピラミッド)/ギザ
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首都カイロ市の南西部にあるギザの台地には、第4王朝のファラオであるクフ王、カフラー王、メンカウラー王の三大ピラミッドがあり、クフ王のピラミッドは北側に位置します。

ここはクフ王(在位:紀元前2589年〜紀元前2566年頃)によって建造されたとされ、年代ははっきりとはしていませんが、紀元前2700年〜紀元前2500年ころに建造されたとされたもの。かつては化粧岩に囲まれた、光り輝く四角錐の建造物でした。化粧石は剥がされ、高さは完成時は146.6mもあったのですが、現在の高さは138.5mとなっているものの、世界最大規模のピラミッドとなっています。

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ジェドエフラー王のピラミッド/アブ・ロアシュ

ジェドエフラー王のピラミッド/アブ・ロアシュ
画像素材:Roland Unger

ギザの8km北にあるアブ・ロアシュには、第4王朝のファラオであり、クフ王の息子であるジェドエフラー王(在位:紀元前2566年頃〜紀元前2558年頃)のピラミッドがあったものの、現在は基礎部分だけしか残っていないといった状態。

ここはかつて未完成のピラミッドであったと考えられていましたが、1995〜2005年の調査によるとピラミッドは完成していたということが分かりました。よって、現代では後世に破壊されたものとされています。

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カフラー王のピラミッド/ギザ

カフラー王のピラミッド/ギザ
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三大ピラミッドの中でも、カフラー王ピラミッドは中央に位置します。現在の高さは約136mとなっていて、頂上付近には化粧石が一部残っているというのが他のピラミッドとの違い。三大ピラミッドの中でも最も高い位置に立っているので、高さも最大と思われていますが、実はクフ王のピラミッドに比べると約3mほど低いのです。

ピラミッドを建造したと考えられているのは、クフ王の息子の一人、カフラー王(紀元前2558年頃〜紀元前2532年頃)。内部はクフ王のピラミッドと比べて複雑な構造はなく、2つの通路と玄室があるのみ。

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メンカウラー王のピラミッド/ギザ

メンカウラー王のピラミッド/ギザ
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三大ピラミッドの中でも、メンカウラー王ピラミッドは南西に位置します。現在の高さは62mと、他のピラミッドと比べると半分ほどの高さで、これは古代ギリシャ世界では祖父であるクフと父であるメンカウラーは暴君であり、彼自身は善政を行ったため、ピラミッドも小規模にしたという伝承ではありますが、その理由は諸説あり、ハッキリとしたことは分かっていません。

ピラミッドは、紀元前2510年ころに築かれたとされますが、12世紀にアイユーブ朝のスルタンによって破壊が命令され、切石が徐々に覗かれると、やがて北面に大きな垂直の裂け目ができるも破壊はできませんでした。

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ウセルカフ王・ジュドカラー王・ウナス王のピラミッド/サッカーラ(サッカラ)

ウナス王のピラミッド/サッカーラ(サッカラ)
画像素材:shutterstock

エジプト第5王朝(紀元前2498年頃〜紀元前2345年頃)の創始者であるウセルカフ(紀元前2498年〜紀元前2491年)がここに埋葬されると、サッカーラは再び王家の埋葬地となり、ピラミッドも残っています。しかし、どれも切石を使用せず、レンガ造りであったために、残念ながら保存状態が悪いといった状態。

第5王朝最後の王であるウナス(紀元前2345年〜紀元前2315年頃)の時勢は、エジプトの権威を落ちていてピラミッドも小規模だったものの、内部では古代エジプトの宗教文献の中でも最も古いものの一つ「ピラミッド・テキスト」と呼ばれる呪文が発見されたことでも有名。

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サフラー王・ネフェルイルカラー王・シェプセスカラー王・ネフェルエフラー王・ニウセルラー王のピラミッド/アブシール

サフラー王/アブシール
画像素材:shutterstock

サッカーラの近郊にあり、エジプト古王国の首都メンフィスの役人のネクロポリスとして使用されていたエリア。ここには第5王朝時代のファラオの階段ピラミッドが5つほど残っています。特に2代目のサフラー王のピラミッドは、47mの高さがありますが、ほとんどが荒廃。しかし、葬祭殿を含めた全体的なレイアウトは、古王国時代の基準となりました。

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テティ王のピラミッド・ペピ1世のピラミッド・メルエンラー1世のピラミッド・ペピ2世のピラミッド/サッカーラ(サッカラ)

テティ王のピラミッドペピ2世のピラミッド/サッカーラ(サッカラ)
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サッカーラには、第5王朝に引き続き、第6王朝になってもピラミッドの建造が行われていて、第5王朝のウナス王の碑文であるピラミッド・テキストは第6王朝の王たちも踏襲しています。比較的保存状態が良いのはテティ王(紀元前2345年〜紀元前2333年)のピラミッド。

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アメンエムハト3世の黒いピラミッド・メンエムハト2世とセンウセルト3世のピラミッド/ダハシュール

アメンエムハト3世の黒いピラミッド/ダハシュール
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ダハシュールには、中王国時代、第12王朝(紀元前1991年頃〜紀元前1782年)や第13王朝(紀元前1782年頃〜紀元前1650年頃または紀元前1803年頃〜紀元前1649年頃)のピラミッドも点在しているもの、残念ながらどれも崩壊。

北側に残る白のピラミッドは、第12王朝のアメンエムハト2世(紀元前1929~紀元前1895年)のものではありますが、現在は瓦礫の山となっています。南に残る黒のピラミッドはアメンエムハト3世(紀元前1860年頃〜 紀元前1814年頃)のもので、浸食のため崩壊しつつありますが、日干し煉瓦と粘土で築かれていて、上部構造はなんとか残っています。

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世界遺産マニアの結論と感想

エジプトのピラミッドは発祥の地だけあって、とにかく膨大!世界遺産に登録されているものだけで38基ですが、高さだけでなく、それぞれの内部の構造も違うので、どれも個性的。そして、今でも目的や建造方法が謎ということもあり、ミステリアスな雰囲気が魅力です。ぜひディープに楽しんでくださいね!

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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