漫画『キングダム』には、向(こう)という宮女が登場し、秦王・政と彼女と間に子供が生まれていますが、実際に始皇帝(紀元前259年~紀元前210年)の妻はどのような人物だったでしょうか?
今回は始皇帝には妻がいたのか?という素朴な疑問を世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、始皇帝の妻について具体的に理解できること間違いなし!
始皇帝には皇后がいたと考えられるが…実は記録がない

※写真はイメージです
漫画『キングダム』だと、貧商の娘であり、宮廷に使える宮女・向が政の夜伽の相手(この場合は大王の子供を生むために用意される女性)として登場します。実際に政は宮女との間に始皇帝の長子とされる扶蘇(ふそ)を産んでいるものの、向はあくまでも架空の人物。
意外なことに、始皇帝の正式な皇后や正妻の記録は残っていません。しかし、公子は20人はいたと『史記』には記されているため、彼には多くの側室がいたとは考えられますが、記録がないので詳しいことは分かっていないというのが現状。
世界遺産マニアの結論と感想
なぜ始皇帝には皇后がいなかったのでしょうか?そもそも皇帝というシステムが誕生したばかりなので「皇后」という仕組みまで辿り着かなかったとも考えられます(とはいえ「王后」は存在していました)が、20人もの公子がいたとなると、多くの妻がいたとも推測されるので、後継者争いにならないようにあえて順位をつけなかったとも考えられますね。しかし、これはあくまでも可能性であり、始皇帝の妻に対する考え方は文書などでは明らかになっていません。
しかし、そんな彼女たちも始皇帝が崩御した際に、後宮で子供がいない者はすべて殉死させられ、その数も多かったと記録されているので、始皇帝の死とともに抹殺されたのかもしれません。中国中部の西安郊外の世界遺産・始皇帝陵はまだ発掘されていないのですが、そこには「彼の妻たち」が多く埋葬されている可能性もありますね…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。