デリーはインドの首都であると同時に、南アジアでも最大の都市でもあります。この地には12世紀から都市が存在していましたが、歴代の王朝はほとんどがイスラム王朝で、特に南アジアに大帝国を築いたムガル帝国の繁栄を物語るイスラム建築もたくさん!
ここでは、デリーの世界遺産を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説。それぞれの遺産を簡潔に解説していきましょう。
デリーのクトゥブ・ミナールとその建造物群
デリーの南側には、インド初のイスラム王朝である奴隷王朝(インド・マムルーク朝、1206〜1290年)時代に建造された複合施設があり、これらは奴隷王朝の開祖アイバクがデリーを征服した記念に建造したもの。よって、これらはインド初期のイスラム建築でもあります。
南東側には高さ72.5mの5層のミナレット(塔)である、クトゥブ・ミナールがあり、これはインドで最も高い石造の建築物でもあります。
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赤い城(レッド・フォート)の建造物群
インドの首都デリーの中心部に位置する広大な城で、ムガル帝国(1526〜1539年、1555〜1858年)の第5代皇帝シャー・ジャハーンが、アーグラから遷都した際に居城としたもの。城は1639〜1648年にかけて建造され、赤い砂岩を使用したことから「赤い城(レッド・フォート)」と呼ばれます。
赤い砂岩の城壁で囲まれていますが、内壁にはイスラム王朝であったムガル帝国らしく、コーランに描かれた楽園を実現した宮殿と庭園が点在します。シャー・ジャハーンは、ペルシャやヒンドゥー教、そして、ムガル帝国のルーツでもある中央アジアのティムール朝の建築物の影響が見られる別館なども建造。
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デリーのフマーユーン廟
フマーユーン廟は、ムガル帝国第2代の皇帝フマーユーンの霊廟です。ムガル帝国の建築物の中でも最初期の墓廟であり、ペルシャ出身の王妃ハミーダ・バーヌー・ベーグムによって1570年に完成。ペルシア出身の建築家ミラーク・ミルザー・ギヤースの指揮のもと、9年の歳月をかけて完成したとされるもの。これはムガル帝国における墓廟建築の基盤となり、17世紀に建造されるアーグラのタージ・マハルへと繋がる建築物でもあります。
墓廟は八角形の基盤を持ち、建物の側面にすべて尖塔型のアーチが多用されていて、これらはペルシャの建築様式であることが特徴。一方、赤砂岩のファサードは白い大理石が使用されたインド伝統の技法が見られ、ドームの周りにあるチャトリ(小塔)もインド独特のもの。高さ42.5mの大理石のドームは二重構造になっていて、外側の屋根と内側の天井を別にしています。
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世界遺産マニアの結論と感想
デリーの世界遺産としては3つもあり、どれもイスラム関連というのが、イスラム王朝によって首都とされてきたという歴史を物語るもの。特に南アジア一帯を支配したムガル帝国初期の首都というだけあって、建物のスケールも大きいというのが特徴です。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。