登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (4) |
登録年 | 1989年 |
ポルトガル中西部のアルコバッサは、12世紀に初代ポルトガル王のアフォンソ・エンリケス1世によって建造された修道院があります。彼はフランス発の修道会・シトー会にこの地の一部を譲渡。修道院は増改築が続けられ、やがてポルトガルの初期ゴシック様式最大の建造物となり、王室と関係の深いものとなりました。
ここではアルコバッサ修道院がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アルコバッサ修道院について詳しくなること間違いなし!
アルコバッサ修道院とは?
ポルトガル中西部にあるアルコバッサは、初代国王アフォンソ・エンリケス1世がレコンキスタを行う過程で、イスラム勢力から12世紀にこの地を奪還。その後、彼は修道院の建造を始めます。当時フランスで勢力を伸ばしていた修道会・シトー会に開拓と引き換えに土地を与え、カトリック教会に影響力を持つ聖人・聖ベルナールから支援を得ようとしました。
その後、シトー会の管理のもと、修道院は改築を重ね、5つの回廊と7つの寮、食堂、宿泊所、聖堂を含めた壮大な建造物となり、ポルトガル最古のゴシック建築物になりました。ここは中世の配置がそのまま残った修道院となり、太ると通ることができない狭い食堂の入口は、禁欲の生活を送るシトー会らしいもの。18世紀に修道院の正面ファサードが建造され、バロック様式の豪華な装飾が加えられました。
ペドロ1世とイネスの墓
修道院には、14世紀に建造の6代国王のアフォンソ4世の息子であるペドロ1世とその愛妾イネス・デ・カストロの美しい装飾が施された大理石の墓があることでも有名。ペドロ1世は、妻の侍女であったイネスに恋に落ち、不倫の愛におぼれていたため、父であるアフォンソ4世は彼に失望し、イネスを暗殺。しかし、彼は再婚せずにイネスを思い続け、ここに二人にの墓が並ぶようになりました。
二人の墓の彫刻は、人間の運命と死、キリスト教の永遠の命への希望を呼び起こすもの。この悲劇は多くの作家や音楽家によって作品のテーマになりました。
アルコバッサ修道院はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
アルコバッサ修道院が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
アルコバッサ修道院は、シトー会が手掛けた、壮大なスケールのゴシック様式の傑作で、ここは聖ベルナールの時代のブルゴーニュ地方で発展した建築様式と、シトー会最古の修道院であるフランスのフォントネーで体現した禁欲的な建築様式を取り入れているという点。
登録基準(iv)
アルコバッサ修道院は、インフラを多く備えた広大なシトー会の修道院の一つで、18世紀建造のキッチンや中世に築かれた修道院の構成する建造物(回廊、参事会室、応接室、宿泊所、食堂)などが見られるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
アルコバッサ修道院は、ポルトガル王室と関係も深く、労働と学習を重んじたシトー会によって修復・管理されていったということもあり、彼らが理想とした質素なデザインがメインではあるものの、中世の修道院の特徴をそのまま残しているという点で評価。そして、ポルトガルの初期ゴシックの傑作で、ペドロ1世とイネスの美しい墓があるというのもポイント。
ちなみに、イネス・デ・カストロは、スペインの北西部にあるガリシア出身で、彼女も貴族と愛妾との間に生まれ、王族と結婚できる身分ではありませんでした。しかし、アフォンソ4世が亡くなると、彼女は「王妃」であるとペドロ1世が宣言したため、彼女の立場は後世では少し救われています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。