ガンビアの世界遺産「クンタ・キンテ島(ジェームズ島)と関連遺跡群」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(3), (6)
登録年2003年

ガンビア川の河口に位置するクンタ・キンタ島はかつての奴隷貿易の重要拠点であり、ヨーロッパ人によって築かれた要塞跡が残っています。島の周囲にはバレン要塞やサン・ドミンゴの遺跡群など、奴隷貿易にまつわる遺構が現在でも点在。

ここではクンタ・キンテ島(ジェームズ島)と関連遺跡群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、クンタ・キンテ島と関連遺跡群について詳しくなること間違いなし!

目次

クンタ・キンテ島(ジェームズ島)と関連遺跡群とは?

クンタ・キンテ島(ジェームズ島)
画像素材:shutterstock

アフリカ西部を流れるガンビア川。その河口は、ヨーロッパの航海者がインドへの航路の中継地であり、ここからアフリカ内陸部へ向かうルートとして重要な場所でもありました。川沿いに位置する集落・アルブレダには、15世紀にポルトガル人が集落を形成し、ここは「サン・ドミンゴの遺跡」として、住居や教会、墓場などの跡が残されています。

ガンビア川の河口から約30kmの位置にあり、アルブレダの街の対岸にある「クンタ・キンタ島」はかつてジェームズ島と呼ばれ、17世紀にクールラント・ゼムガレン公国(1562〜1795年)によって買収されると、要塞が築かれました。そして、ここはアフリカにおける奴隷貿易の拠点となり、イギリス、フランス、オランダがこの地を巡って争い、所有権が変わることにジェームズ要塞は破壊と再建を繰り返しました。やがて19世紀に放棄され、現在は5mにも及ぶ防壁と塔が残っていて、奴隷の詰め所などの遺構も見られます。

フランス西アフリカ会社(CFAO)の社屋跡
画像素材:Niels Elgaard Larsen(Wikimedeia Commmons)

1977年に制作され、アメリカで人気だったドラマの同名の原作『ルーツ』の作者アレックス・ヘイリーの祖先がここからアメリカへと連れて行かれたとされ、島の名前も2011年に主人公の「クンタ・キンテ」からその名が付けられました。

対岸のアルブレダには、他にも「フランス西アフリカ会社(CFAO)の社屋跡」が残っています。河口付近にある19世紀に築かれた「バレン要塞」と、首都バンジュール市内にある砲台の跡「六連砲台」なども合わせて登録。

クンタ・キンテ島(ジェームズ島)と関連遺跡群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

クンタ・キンテ島(ジェームズ島)
画像素材:shutterstock

クンタ・キンテ島が評価されたのが、以下の点。

登録基準(iii)
クンタ・キンテ島と関連遺跡群は、15〜20世紀にかけてアフリカ人とヨーロッパ人との交流を示し、アフリカ内陸部への奴隷貿易を含めた交易ルートの拠点であったという点。

登録基準(vi)
クンタ・キンテ島と関連遺跡群は、ポルトガル人の入植地の遺跡、要塞、砲台など、奴隷貿易の始まりから終了までの歴史に関連していて、アフリカの人々のディアスポラ(民族拡散)に関する記憶を保存するものであるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

クンタ・キンテ島と関連遺跡群は、ガンビア川の河口にあることから、アフリカ内陸部の交易ルートの拠点であり、ヨーロッパ人による奴隷貿易の拠点でもあったことから、その奴隷貿易やアフリカ人のディアスポラという負の記憶を留める場所として評価されています。

ちなみに、日本でも「ルーツ」という言葉は和製英語であり、割とよく使用されていますが、これは『ルーツ』という作品のヒットによるもの。ある意味「ルーツ」という和製英語のルーツは『ルーツ』なんです。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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