登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (4) |
登録年 | 1996年 |
モロッコの内陸にあるメクネスは、17世紀にアラウィー朝のスルタン、ムーレイ・イスマーイールによって首都とした都市。城壁に囲まれた旧市街は、イスラム建築とヨーロッパ建築が融合した建造物が今も残り、ムーレイ・イスマイール廟では美しいモザイクが見られます。
ここでは古都メクネスがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、メクネスについて詳しくなること間違いなし!
古都メクネスとは?

首都ラバトから東に約130kmの位置するメクネスは、現在のモロッコ王国の王朝・アラウィー朝の最初期の首都であった場所。ここは11世紀にムラービト朝時代に設立され、17世紀になると当時のスルタンであったムーレイ・イスマーイール(1672〜1727年)によって、アラウィー朝の都となりました。
街は総延長約40kmのもの城壁に囲まれていて、ここはヨーロッパとイスラム建築が融合した、この地方独特の建築物が現在でも残っています。旧市街(メディナ)には、25のモスクと10のハマム(公衆浴場)、穀物倉庫などが点在。
旧市街の南側はアラウィー朝の王宮があったエリアで、ここにはクベット・エル・キャティンと呼ばれる玉座の間であり、謁見の間であった場所や、キリスト教徒奴隷の刑務所跡があります。そして、街のシンボル的存在である18世紀建造のマンスール門があり、ここは王宮の入り口でもありました。
ムーレイ・イスマーイール廟



アラウィー朝のスルタン、ムーレイ・イスマーイールが眠る霊廟。彼はモロッコ王国最盛期のスルタンだっただけあって、豪華絢爛な建造物となっています。ここは王宮の南西部に位置していて、18世紀に建造されたもの。霊廟であるものの、中庭はまるで宮殿のよう。敷地内には礼拝堂もあり、メッカの方向を示すミフラーブのモザイクタイルも美しいことで知られます。
ここはその後、アラウィー朝の子孫たちにも利用されるようになり、現在では観光地として開放されています。
古都メクネスはどんな理由で世界遺産に登録されているの?



メクネスが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iv)
メクネスは、高さ15mもの城壁で囲まれた、モロッコの典型的な要塞都市であり、イスラムとヨーロッパの建築様式が調和した、17世紀の北アフリカの首都の構造をそのまま残していて、サハラ砂漠で見られるユニークな建築物でもあるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
メクネスは、現在も続くアラウィー朝のかつての首都でもあり、ここはイスラムとヨーロッパの建築様式が融合した町並みがそのまま残るという点で評価されています。そして、サハラ砂漠で見られる土を主体とした建造物が見られる点もユニーク。
ちなみに、メクネスの郊外にある、世界遺産ヴォルビリスの考古遺跡は、古代ローマ都市であったものの、廃墟となっているため、ムーレイ・イスマーイールがメクネスを建造する際に資材として大理石などを一部再利用しています。
さらに、ムーレイ・イスマーイールは歴史上「最も子供の数が多い人物」であり、なんと1000人以上も子供がいたとされ、ギネスブックにも載っているほど。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。