登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (4) |
登録年 | 1995年 |
ウルグアイ南西部にあるコロニア・デル・サクラメントは、1680年にポルトガル人によって築かれた都市。対岸にはスペイン人によって設立されたブエノスアイレスがあり、戦略上重要な地でありました。スペインやポルトガルそれぞれに支配され、植民地時代の町並みが現在でも残っています。
ここでは、コロニア・デル・サクラメントの歴史的街並みがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、コロニア・デル・サクラメントについて詳しくなること間違いなし!
コロニア・デル・サクラメントの歴史的街並みとは?
コロニア・デル・サクラメントは、ウルグアイ南西部のラプラタ川沿いにある港湾都市です。ここは当時スペインが支配していたアルゼンチンとポルトガルが支配していたブラジルの国境にあった場所。
1680年にポルトガルによって設立され、その後100年に渡ってスペインとポルトガルがこの地を巡り、争いました。何度も破壊と修復を繰り返すうちに、19世紀後半には、石壁や屋根、格子など、それぞれの国の伝統様式を持つ都市になりました。
旧市街は植民地時代の名残が残る、コロニアル様式の建築物が多く残っています。特に旧市街は2階建ての家はあまりなく、ほぼ1階建ての家だけで構成。これは景観を保つため、現在も制限されています。よって、2階建て以上の高さを持つ建築物は、旧市街では灯台とサグラード・サクラメント教会堂だけ。
コロニア・デル・サクラメントの歴史的街並みはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
コロニア・デル・サクラメントが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iv)
17世紀の終わりに設立された旧市街は、植民地時代の建造物や区画など、今でもよく残っているということ。
世界遺産マニアの結論と感想
中南米には、ヨーロッパ諸国が建造した植民都市が多く残っていますが、ここは当時の様子をよく残す旧市街があることで評価。特に高い建物を作らないように制限されているので、景観も保たれています。
南米の中でも辺境の地であるウルグアイは、かつて羊毛や牛肉の輸出で栄え、「南米のスイス」と呼ばれるほどの福祉国家だったことでも有名。しかし、なかなかうまくはいかず…そこで登場したのは、「世界一貧しい大統領」。現在は「南米一幸せな国」として有名で、ジェンダーフリー、スマートシティ化などなど、南米の中でも最先端の生き方をエンジョイしている国なのです。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。