登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (5) |
登録年 | 2024年 |
タイ北東部に位置するプー・プラ・バートは、仏教の祭事場として使用されていた場所。キノコ型の奇岩や赤い塗料で描かれた壁画などが残っていて、ここは先史時代から何千年に渡って神聖な場所であり、各時代の文化の集合体といった存在でもあります。
ここではプー・プラ・バート歴史公園がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、プー・プラ・バート歴史公園について詳しくなること間違いなし!
プー・プラ・バート、ドヴァーラヴァティー時代のシーマ石の伝統の証拠(プー・プラ・バート歴史公園)とは?
タイの北東部の大都市ウドーンターニーから西へ約54kmの位置にある歴史公園。ここは先史時代から神聖な場所として崇められていて、「プー(山)」と「プラ・バート(聖なる足跡)」という意味の通り、ここは丘の上に築かれた施設で、ブッダの足跡を祀り、祭事が行われた場所でもありました。遺構としては68箇所残っていて、先史時代の壁画には、赤い塗料で描かれた人物や牛などが見られます。他にも仏像などの浮き彫りや円形の彫刻などで構成されているもの。
ここは9〜11世紀には、仏教の祭事場として利用されていて、ドヴァーラヴァティー王国(6世紀ころから11世紀ころまで存在したとされるモン族の王国)、クメール王朝(802〜1431年)、ラーンサーン王朝(1354〜1709年)、それぞれの芸術様式が見られるというのが特徴。特にラーンサーン王朝の芸術様式で刻まれたブッダの足跡も見られ、これが名前の由来となっていてます。
浸食によって形成された奇岩は、公園のシンボル的存在で「ウサの塔」と呼ばれるもの。ウサとは、ラオスの首都ビエンチャンの起源にまつわる伝説の中で登場するウサという名前の美しい姫にちなんでいて、当時この周囲を治めていた王がこの地で育てたという伝承に由来しています。
プー・プラ・バート、ドヴァーラヴァティー時代のシーマ石の伝統の証拠(プー・プラ・バート歴史公園)はどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?
プー・プラ・バート歴史公園が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
登録基準(v)
プー・プラ・バート歴史公園は、砂岩の丘に何千年にも渡って神聖な存在として崇められ、宗教儀式を行われた場所であり、丘の上にはさまざまな時代の遺構が築かれました。これらは自然の景観が宗教の中心地へと変貌し、47の岩の表面に描かれた岩絵は、何千年以上にわたる人類の居住の証拠を示しているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
プー・プラ・バートには、先史時代からの遺構が残っていて、古くから儀式が行われたということを示していて、東南アジアの各時代の建築様式が見られることから、文化の集合体であるという点で評価されています。
ちなみに、起点となっているウドンターニーはこの地方の中心都市であるものの、1897年創設と歴史は割と浅い都市。このあたりはベトナム戦争時にはアメリカ軍基地があったために、軍人がよく通っていたという繁華街があったりと、ナイトライフが楽しいエリア。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。