登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3) |
登録年 | 2018年 |
外海(そとめ)の出津(しつ)集落は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つ。リアス式海岸沿いにある潜伏キリシタン集落で、独自の信仰が続けられてきました。ところで、出津集落はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは外海の出津集落がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、出津集落について詳しくなること間違いなし!
外海の出津集落とは?
長崎県長崎市の西彼杵(にしそのぎ)半島の南西部にあり、現在は外海町となっていますが、小平(こだびら)集落とも呼ばれます。ここは縄文時代から人が住んでいたとされ、16世紀に領主の大村氏がキリスト教を庇護したことからキリスト教住民が多くなりました。
禁教時代になると、リアス式海岸沿いに存在したため、地形としてはキリシタンが隠れ住むのにうってつけでした。ここは河岸段丘であるために、住民は石積みの技術によって建造物や段々畑を作り、漁業などを中心に暮らしていました。1909年に完成した出津教会堂も世界遺産に登録。
住民は古くから聖画像を拝んでおり、ここでは日本語の教義書などもあり、独自の信仰が続けられ、この住民たちが五島列島などへと移住したためにこの地の教義が島へと持ち込まれていきました。
外海の出津集落はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
出津集落が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
長崎と熊本の潜伏キリシタン関連遺産は、キリスト教が禁止された17〜19世紀までの2世紀に渡って、潜伏キリスタンによって密かに続けられたキリスト教の信仰が続けられ、独自の宗教的伝統の証拠を残すという点。
世界遺産マニアの結論と感想
出津集落は、現在は普通の港町のように見えますが、かつては潜伏キリシタンの集落で、独自の信仰が守られ、これが五島列島に持ち込まれていったという点で評価されています。
ちなみに、出津教会は19世紀後半に長崎で多くの教会堂の設計・指導を手掛けたド・ロ神父(1840〜1914年)によるもので、彼は日本初のマカロニの製造工場を築いたりと、宗教だけでなく、経済的発展にも大きく影響を与えた人物。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。