登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 2015年 |
占勝閣(せんしょうかく)は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つ。1904年に建造され、造船所の迎賓館として利用されている洋館。ところで、占勝閣はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは占勝閣がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、占勝閣について詳しくなること間違いなし!
占勝閣とは?
長崎県長崎市は現在でも三菱重工業の長崎造船所があり、主力の造船所があることから、明治からそのまま使用されている造船所の一部が世界遺産に登録。造船所の敷地でも第三船渠の隣にある木造の洋館は、1904年建造の当時の所長・荘田平五郎の邸宅として建造されました。しかし、邸宅としては使用されず、迎賓館として現在まで利用されています。占勝閣という名は、1905年にここに宿泊した東伏見宮依仁親王が「風光景勝を占める」という意味で「占勝閣」と名付けられました。
ここは船舶の命名式などの祝賀会や貴賓の接待などに使用されるため、通常は公開されていません。
占勝閣はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
占勝閣が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
明治日本の産業革命遺産は、江戸時代から続く封建社会であった日本が19世紀半から西欧の技術によって20世紀初頭まで短期間で世界有数の工業国となり、そのノウハウや技術など、東アジアの工業化において影響を与えたという証拠である点。
登録基準(iv)
日本各地に残る鉄鋼、造船、石炭の産業拠点は、世界の歴史において、西欧諸国以外で初めて近代化に成功し、西欧技術の採用により、地元の技術革新と合わせて日本独自の工業化を反映した産業遺産であったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
占勝閣は、日本の建築家によって築かれた洋館で、東アジアの工業化に貢献した造船所の迎賓館として建設当時からずっと利用されているという点で評価されています。
ちなみに、ここを設計した曽禰達蔵(そねたつぞう)は、三菱系の建物を多く建造する一方、慶應義塾大学の図書館などを含めて設計したことでも知られます。彼は佐賀生まれなのですが、同郷の建築家・辰野金吾は早稲田大学の講堂などを設計していて、大学同士はライバルですが、設計した建築家は同郷という不思議。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。