登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (5) |
登録年 | 2023年 |
ラトビア西部・クールラント地方の首都でもあったクルディーガは、16〜18世紀に存在したクールラント・ゼムガレン公国時代の都市の構造や建造物が今でも残っていて、当時の交易都市の様子が今でも見られます。
ここではクールラントのクルディーガ/ゴールディンゲンが、なぜ世界遺産なのか?世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、クルディーガについて詳しくなること間違いなし!
クールラントのクルディーガ/ゴールディンゲンとは?
クールラントとは、ラトビアの西部に位置していて、かつてはゼムガレン地方とともにクールラント・ゼムガレン公国(1562〜1795年)として独立を保っていました。この公国はポーランド・リトアニア公国(1569〜1795年)に属していたものの、バルト海から東に約500kmまで三角形を描くように広大な領土を誇り、新大陸の進出も早く、交易が盛んであったことから、北方のスウェーデンや東側のロシアからも狙われていた土地でもあります。
クールランドの中心地であり、一時首都でもあったクルディーガは、記録としては13世紀に確認できるほど古く、ドイツ語でゴールディンゲン(黄金のマーケット)という名前の通り、14世紀にはハンザ同盟都市であり、古くからドイツの影響を受けた都市でもあります。しかし、1795年に公国の統治権がロシアに譲渡されると公国は消滅。
クルディーガは、ドイツ生まれの初代の統治者ゴットハルト・ケトラー(1517〜1587年)の宮殿があり、行政の中心地でもありました。17世紀にはすでに175の建築物があったとされるほど。
現在の旧市街は、公国時代に遡る区画や当時から使用されている建築物が並ぶ都市となっています。ここには伝統的な丸太組みによる木造建築物に加え、レンガ造りや木組みに漆喰が施された家々などが並び、周囲のハンザ同盟やバルト海、ロシアの都市の影響が見られるもの。
クールラントのクルディーガ/ゴールディンゲンはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
クルディーガが評価されたのが、以下の点。
登録基準(v)
クルディーガは16〜18世紀まで当時の街並みをほぼ残していて、伝統的な丸太による建築だけでなく、地元の職人とバルト海各地の職人との交流を示す建築物もあり、19世紀まで建築が築かれていったという点。
世界遺産マニアの結論と感想
クルディーガは交易で繁栄したクールランドの中心地であったことから、多くの建造物が作られ、それがよく保存されていて、クールラント・ゼムガレン公国の文化や経済状況などが今でも分かるという点で評価されています。
ちなみに、ゼムガレンの首都は東部にあるイェルガヴァ(ミタウ)であり、公国の首都もこちらに置かれていました。ややこしい話ですが、16世紀にゴットハルト・ケトラーが亡くなると、兄のフリードリヒがイェルガヴァ、弟のウィルヘルムがクルディーガで暮らしたためにクールラント・ゼムガレン公国の首都がイェルカヴァであったのですが、1616年にヴィルヘルムが亡くなるまでは共同で首都ではあったのです。
しかし、彼の死後も街は繁栄を続けたためにクールラントの中心地はクルディーガであるという体制が続きました。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。