静岡県は西は浜名湖から駿河湾、東は伊豆半島と雄大な自然が広がるエリア。なんといっても標高3776mの富士山が静岡のシンボル的存在で世界遺産に登録されていることでも知られますが、県内には世界遺産はいくつあるでしょうか?
ここでは、静岡県の世界遺産を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説。それぞれの遺産を簡潔に解説していきましょう。
富士山-信仰の対象と芸術の源泉
富士山地域/富士宮市・富士市・裾野市・御殿場市・小山町
富士山本宮浅間大社 奥宮
浅間神社の総本社。富士宮市の富士山本宮浅間大社が本宮となっていて、富士山頂に奥宮(おくみや)が鎮座します。12世紀には修験者によって経典や仏像などを奉納した施設(後に大日堂)が置かれてましたが、それ以前にも登頂者による遺品なども存在したという記録もあり、古くから神聖な場所とされてきました。
浅間大社の支配権が当時の江戸幕府から認められたのは18世紀以降で、明治時代の廃仏毀釈運動によって、ここに置かれていた仏像が取り除かれ、浅間大社の奥宮となりました。
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富士山本宮浅間大社 本宮/富士宮市
富士宮市にある全国の浅間神社の総本社。前述の奥宮を含めて広大な敷地が境内となっていて、本宮が一般的に「浅間神社」と呼ばれています。明治時代から「富士山本宮浅間神社」というのが正式名称ではありますが、1982年から現在の「富士山本宮浅間大社」となりました。
江戸時代の記録によると、806年までは既に存在した「山宮浅間神社」で、富士山に鎮座する神「浅間大神(木花之佐久夜毘売命、コノハナノサクヤビメ)」を祀っていたものの、806年に征夷大将軍でもあった坂上田村麻呂によって分祀され、現在の大宮がある地に社殿を造営されました。
古くから富士山の南麓の中心的な神社であり、1604年に徳川家康によって、関ヶ原の戦いの戦勝を記念して社殿が作られ、本殿は二重に楼閣造である「浅間造」として有名。境内にある「湧玉池(わくたまいけ)」は富士山の伏流水が水源となっています。
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山宮浅間神社/富士宮市
富士宮市の山宮にある神社。ここは「富士山本宮浅間大社」の前身とされていて、806年に移転する以前にここには遥拝所が存在していたとされています。よって、ここには本殿がなく、富士山を拝む方向に置かれた祭壇や石列がある遥拝所が残っていて、周囲には祭祀用の土器なども発掘。
江戸時代になると浅間大社の摂社となり、「山宮御神幸」という浅間大社と山宮浅間神社を往復する神事が行われいて、当時神事で使用されていた鉾(ほこ)を休ませる「鉾立石(ほこたていし)」が2つの神社で残っています。
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村山浅間神社/富士宮市
富士宮市にある浅間神社の一つで、大宮・村山口登山道の途中に位置する神社。かつては富士山興法寺を構成する寺社の一つで、戦国武将の今川氏の庇護を受け、江戸時代は大名や旗本の代参(本人に変わって参拝すること)多くの修験者が集まる場所でもありました。しかし、明治以降は修験道廃止によって衰退してしまいますが、大日如来を祀る「大日堂」など、当時の繁栄の様子が伝わります。
須山浅間神社/裾野市
裾野市にある浅間神社の一つ。須山口登山道の入口に頓挫する神社で、古くは日本武尊によって社殿が建造されたという伝承が残りますが、須山口は鎌倉時代〜室町時代ころから利用されていた主要ルートでしたが、宝永大噴火(1707年)で須山口が消滅し、旧社殿も被害に遭ったとされています。現在の社殿は1823年に再建されたもの。須山口はその後、復活したものの、メインルートとしては利用されなくなってしまいました。
冨士浅間神社(須走浅間神社)/小山町
小山町須走にある浅間神社の一つ。須走口登山道の入口に位置する神社で、ここは駿河国と甲斐国を結ぶ街道沿いの宿場町でした。創建は807年と歴史は古く、弘法大師(空海)が修行したという伝承が残るほど。宝永大噴火(1707年)で社殿と宿場町は埋没したものの、現在の社殿はそれ以降に再建されました。登山道に繋がる参道の脇には、富士講の記念碑などが残っています。
人穴富士講遺跡/富士宮市
富士宮市にある富士山の噴火で形成された溶岩洞穴。ここは富士講の開祖である長谷川角行が修行した地であり、入滅した場所とされています。洞穴には、祠や碑塔、石仏があるものの、現在は立ち入り禁止。近くには人穴浅間神社があり、富士講の信者たちの墓地となっていて、角行の墓だけでなく、墓碑は230以上あるとされています。
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白糸ノ滝/富士宮市
富士宮市にある無数の滝が並ぶというエリア。ここは2〜3万年前の富士山の噴出物が堆積した「古富士泥流」の上に溶岩流があることから、各層の隙間から地下水が多く流れ出て、それが絹糸のように見えることから「白糸ノ滝」と呼ばれています。高さ20mにもかかわらず、その水量は毎秒1.5トンにもなるというほど。
ここは富士講の巡礼地の一つで、有名な指導者である食行身禄(じきぎょうみろく)の供養碑が今でも残っています。
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三保松原/静岡市
静岡市清水区の三保半島にある有名な景勝地。約7kmに渡って続く砂浜に3万ほどの松の木が並び、駿河湾の奥に富士山が見えるという景観は、和歌の題材にもなり、江戸時代になると浮世絵にも多く描かれています。
世界遺産としては、富士山から45kmも離れていて、ユネスコの諮問機関であるICOMOSには除外すべきと勧告はされたものの、最終的には登録されています。登録範囲としては、南側の羽衣公園から北側の清水灯台まで登録されていて、御穂神社と参道である「神の道」も含めているのが特徴。
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明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業
韮山反射炉/伊豆の国市
伊豆の国市の韮山に残る「韮山反射炉」は、大砲を鋳造していた実用炉。これは江戸幕府の幕臣で韮山の代官であった江川英龍によって1853年に建造されたもので、彼の死後、1857年に完成。鋳鉄の溶解が行われた反射炉が残るのは世界でもここだけという点で評価されたもの。
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世界遺産マニアの結論と感想
静岡県の世界遺産としては2件ではありますが、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産は8箇所あるので、それを含めると9箇所も登録されています。富士山はあくまでも文化遺産ではあるのですが、富士山の登山道から神社、景勝地まで幅広いジャンルの構成資産が並ぶのが魅力です!ぜひディープに楽しんでくださいね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。