オマーンの世界遺産「バハラ城塞」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(4)
登録年1987年

オマーン北部にあるバハラ城塞は、12〜15世紀までこの地を支配していたバヌ・ネブハン族のオアシス都市だった場所。都市は約12kmもの城塞に囲まれていて、城内は砂岩の土台に石造りの塔が築かれ、16世紀には国内でも最大規模の要塞になりました。現在も城壁や監視塔などが残り、かつての繁栄が見られるもの。

ここではバハラ城塞がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、バハラ城塞について詳しくなること間違いなし!

目次

バハラ城塞とは?

画像素材:shutterstock

バハラは、オマーン北部にあるアフダル山の麓に位置する城塞都市の一つ。ここは12〜15世紀までオーマン中央部を支配していいたバヌ・ネブハン族の中心地でもあり、イバード派というイスラム教の分派の一つで、ここは他のアラブ諸国やアフリカにも影響を与えていました。

旧市街は約12kmもの城壁で囲まれていて、遠方にある泉から地下水路を通して水を運ぶという仕組みになっていました。ここは中世イスラム時代の要塞化されたオアシス都市であり、16世紀には円柱の塔や日干しレンガの砦、そして、城内にはモスクや謁見の間、ハマム、伝統的家屋などが並ぶという、オマーン国内でも最大規模の要塞でもあります。

建物には木製のドアや棚、窓などは、ここが工芸が発展した地ということを示しています。現在も残る金曜日モスクには華麗なミフラーブ(メッカの方向を示すもの)があり、その建築技術は見事なもの。

バハラ城塞はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

画像素材:shutterstock

バハラ城塞が評価されたのが、以下の点。

登録基準(iv)
バフラ城塞は、要塞を備えたオアシス都市で、中世後期にオマーンで繁栄した部族による城塞建築の優れた例であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

バハラ要塞は、中世のオマーンで繁栄したバヌ・ネブハン族の中心都市であり、城壁や建築物は今でも当時の構造が分かるほどに保存状態が良いという点で評価されています。

ちなみに、アフダル山は標高2980mにもなる大きな山です。迷路のように渓谷が入り組んでいて、山越えが大変。自転車ロードレースのツアー・オブ・オマーンでは、山岳ステージとしてアフダル山のコースとして利用されています。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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