オーストリアの世界遺産「ホーフブルク宮殿」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産(危機遺産 2017年~)
登録基準(2), (4), (6)
登録年2001年

ホーフブルク宮殿は「ウィーン歴史地区」の構成資産の一つ。ここはハプスブルク家の居城であり、歴代の君主たちによって築かれた多くの建造物が並んでいます。ところで、ホーフブルク宮殿はなぜ世界遺産なのでしょうか?

ここではホーフブルク宮殿がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ホーフブルク宮殿について詳しくなること間違いなし!

目次

ホーフブルク宮殿とは?

ホーフブルク宮殿
画像素材:shutterstock

ウィーン市内中心部に位置する宮殿。13世紀にオタカル2世(1230年?〜1278年)によって建造するものの、神聖ローマ皇帝ルドルフ1世が入城したことにより、ハプスブルク家の居城となりました。1918年までハプスブルク家の宮殿として利用され、その後はオーストラリア大統領公邸であり、一部は博物館や美術館、図書館などが集まる複合施設となっています。

ここはホーフブルク王宮とも呼ばれ、近郊のシェーンブルン宮殿が夏の離宮として利用されたのに対し、冬の宮殿として使用。歴代の君主が増改築を繰り替えてきたため、宮殿内はルネサンスやバロック様式などが入り混じり、王宮、図書館、礼拝堂、乗馬学校などで構成されています。

王宮の最古の部分であるスイス宮は、現在は神聖ローマ帝国の帝冠などが飾られている王宮宝物館として利用されています。敷地内にあるアウグスティヌス教会は、14世紀に築かれたゴシック様式の聖堂で、多くの王族が結婚式を行った場所。

ホーフブルク宮殿はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ホーフブルク宮殿
画像素材:shutterstock

ホーフブルク宮殿が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
ウィーンの歴史地区は、2000年以上にも渡り、文化の交流を通じて都市の発展が見られるという点。

登録基準(iv)
ウィーンの歴史地区は、中世から19世紀までヨーロッパの文化や政治の発展が見られるということ。

登録基準(vi)
16世紀以降ウィーンは音楽の都として広く認知されているという点。

世界遺産マニアの結論と感想

ホーフブルク宮殿は、ハプスブルク家の本拠地であったことから、中世から近代まで増改築が行われ、ヨーロッパの発展が見られるという点で評価されています。

ちなみに、敷地内にはシシィ博物館があり、日本人にも好評。シシィとはミュージカルでも有名な皇妃エリザベート(1837〜1898年)のあだ名で、彼女にまつわる品々が置かれています。彼女のドレスや日用品などが見られますが、彼女自身はウィーンがあまり好きではなく、実際は旅ばかりの人生でした。しかし、今となっては彼女がウィーンのシンボルとなっているのは皮肉な話ですね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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