登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (4), (6) |
登録年 | 2004年 |
金峯神社(きんぷじんじゃ)は「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つ。吉野山でも奥にある金峯神社は、修験道の修行の場であった場所。ところで、金峯神社はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここでは金峯神社がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、金峯神社について詳しくなること間違いなし!
金峯神社(吉野山)とは?
吉野山で最も奥にある青根ヶ峰(あおねがみね)の側にあり、創建時期は不明ですが、11世紀に藤原道長(966〜1028年)がここを訪れたという資料もあるほどに古いもの。金峯山の地主の神・金山毘古神(かなやまひこのかみ)を祀る神社であり、明治以前は黄金を蔵する山・金峰山から「金精明神(こんしょうみょうじん)」と呼ばれていましたが、明治になるとここは神社となりました。
敷地内には、宝形造り・檜皮葺きの塔があり、これは「義経隠れ塔」と呼ばれ、源義経(1159〜1189年)が兄である頼朝の追手から逃げるために屋根を蹴破ったという伝承が残りますが、現在のものは大正時代に再建された建造物でもあります。
金峯神社(吉野山)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
金峯神社が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
紀伊山地に残る霊場と参詣道は、神道と仏教が融合が見られ、東アジアにおける宗教文化の交流と発展を示すということ。
登録基準(iii)
紀伊山地に点在する神社や寺院は、この地の慣習を含めて、1000年以上に渡る日本独自の宗教の発展を示すものであるという点。
登録基準(iv)
紀伊山地は、日本各地の寺社の建築様式に大きな影響を与え、それらの形成のルーツともなっているという点。
登録基準(vi)
紀伊山地の霊場と森林には、1200年に渡って神の宿る地として信仰が維持され、それらが景観に見られるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
金峯神社は、古くから修験道の修行の場であり、神道と仏教が融合した日本独自の信仰が発展したという点で評価されています。
ちなみに、源義経といえば、船をジャンプして飛び越える「八艘飛び」で有名ですが、義経隠れ塔の屋根を蹴破って逃げたことからここは「蹴抜の塔(けのけのとう)」とも呼ばれます。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。