長野県にある松本城は、国宝にも登録されている現存天守の一つで世界遺産に登録されていると思いきや…実は世界遺産じゃないんです。これだけ有名な観光地なのになぜ?
ここでは松本城が、なぜ世界遺産でないのか?世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、松本城について詳しくなること間違いなし!
国宝・松本城とは?数少ない現存している天守閣がある
城主は誰?
長野県松本市の中心部にある松本城。1504年に小笠原氏によって城が築かれたのが始まりとされ、当時は「深志城」と呼ばれていました。1590年に徳川家康を出奔して豊臣秀吉の家臣となった石川数正(1533年〜1592/1593年)が入城。彼は松本藩の主題藩主となり、子の康永とともに、城郭・城下町の整備を行い、現在の基礎を築きました。
城は典型的な平城で、本丸と二の丸、三の丸で構成され、すべて水堀で囲まれているというもの。しかし、1727年には本丸御殿が焼失し、以降は二の丸で政務をおこなっていましたが、こちらも1876年に全焼。現在残っているのは天守のみ。
天守閣は日本で12箇所しかない現存天守の一つ
天守の建造年はいくつか説があり、おもに16世紀後半〜17世紀前半に築かれたとされるのが一般的。5重6階の大天守が中心となっていて、初重は袴型の石落としがあり、二・三重目は千鳥破風など、層塔型の形状であり、屋根の隅の方向は一定でないというのが特徴。
北側には乾小天守、大天守、東面には辰巳附櫓・月見櫓を複合した複合連結式天守であり、月見櫓は三代将軍の徳川家光が長野の善光寺に参拝するという内意を受けた際に建造されたもの。日本でも天守に付随した月見櫓があるのはここだけ。
松本城はなぜ世界遺産として登録されないの?
松本城は観光客には人気のあるスポットではありますが、世界遺産としては登録されていません。これはなぜでしょうか?実は世界遺産に登録させるには、世界遺産条約の締約国の政府が世界遺産センター(世界遺産委員会事務局)の協力を受けながら世界遺産候補である「暫定リスト」を作成する必要があるのです。つまり、暫定リストに掲載されていない遺産は、世界遺産に推薦することはできません。
そして、現在の日本の暫定リストには松本城が記載されていないため…残念ながら世界遺産になる可能性は今のところ0%です。実は平成13年度(2001年度)に「国宝松本城を世界遺産に」推進実行委員会の設立され、松本市が主導で世界遺産登録を目指しています。とはいえ、まだまだ普及活動がメインとなっていて、暫定リストに至るまでの具体的なプロセスまでは至っていない段階。
ちなみに、松本城は2016年から愛知県の犬山城と松江市の松山城を合わせて登録するということも視野に入れていて、各市は登録へ向けて連携を強化しています。
世界遺産マニアの結論と感想
残念ながら松本城は世界遺産ではありませんが…しかし、それは現段階の話。まずは暫定リストへの登録を目指していて、日本各地に残る現存天守とともに世界遺産に登録される可能性も!まだまだ先の話ですが、楽しみに待っていましょう。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。