登録区分(暫定リストに記載) | 文化遺産 |
登録基準(暫定リストに記載) | (2),(3),(4) |
申請年(暫定リストに記載) | 2010年 |
道遊の割戸(どうゆうのわりと)は「佐渡島の金山」の構成資産の一つ。佐渡金山の中でも、山が2つに割られたように見える印象的な景観は、金山のシンボル的存在。ところで、道遊の割戸はなぜ世界遺産候なのでしょうか?
ここでは道遊の割戸がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、道遊の割戸について詳しくなること間違なし!
道遊の割戸とは?どうして真っ二つなの?
相川金銀山は島の西部に残る金山で、16世紀末に開発が始まり、島でも最大規模の鉱山でした。もともとは標高255.9mの道遊山という山があり、ここには鉱脈が発見されたことから、1601年に山頂部から掘り進められ、やがて幅30m、深さ74mもの巨大な空洞「割戸」が形成されました。ここは相川金銀山の最古の採掘地であり、江戸時代の絵巻にも現在のようなV字型の景観が見られます。
割戸の上部は江戸時代初期に掘られ、下部は明治、大正、昭和に採掘が行われました。絶壁のような採掘跡は世界でも非常に珍しいもの。
道遊の割戸はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
道遊の割戸が評価されたのは以下の点。
登録基準(iv)
佐渡島は南と北の2つの山脈に1つの沖積平野で隔てられるという地形であり、島に残る金と銀の鉱床は、熱水が地表に上昇し、地殻変動により、海底に沈んだ後、再び隆起したという構造です。そのような環境のなか、砂金の鉱床は、西三川地域で採掘され、後に火山岩の風化により鉱脈が露出し、相川・鶴子地域で地下採掘が行われまました。地下と地上に残る遺構は、採鉱のための社会・労働組織が反映されているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
道遊の割戸は、江戸時代初期から金銀の露頭掘りの跡であり、保存状態も良好。古典的な採掘技術であることから、近世から近代までの鉱山の発展が見られるという点で評価されています。
ちなみに、なぜ道遊の割戸は山全体を破壊せずに、V字型になった残ったかというと、山の中央部分だけに鉱石が集中していて、かつ斜面が急であったことから考案されたそう。「とりあえず、この部分だけ掘り起こそう」ということから始まったために最終的には山を削ってしまったというレアな例なのです…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。