登録区分 | 文化遺産 |
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登録基準 | (3),(4) |
登録年 | 2019年 |
銭塚古墳(ぜにづかこふん)は「百舌鳥・古市古墳群-古代日本の墳墓群-」の構成資産の一つ。堺市にある大仙公園の南、大阪府立堺支援学校内に位置する帆立貝形古墳であり、後円部分だけが現存しています。ところで、銭塚古墳はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは銭塚古墳はなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、銭塚古墳について詳しくなること間違なし!
銭塚古墳とは?
百舌鳥古墳分でも大型のいたすけ古墳の北西に位置し、大阪府立堺支援学校内の敷地内にある帆立貝形古墳。墳丘長は72mもあり、明治時代にはすでに存在が確認されていたのですが、その後、古墳の前方部分がバスの乗降場やガレージとして利用されてしまい、現在は後円部分しか残っていません。
1981・1982年に校舎の改築工事に合わせて発掘調査が行われ、出土した埴輪の時期から古墳は5世紀後半に築かれたことが分かりました。そして、2007年の調査では、墳丘の2段目より上部は後世によって削られたことが分かったため、もともとはもう少し標高の高い古墳であるということも判明。建造当時は周濠があったことも分かりましたが、現在はその跡は見られません。
銭塚古墳はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
銭塚古墳が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
百舌鳥・古市古墳群は、日本全国にある16万もの古墳の中でも、古墳時代を代表するもので、この時代の社会構造や階級、高度な葬送文化を示すものであるという点。
登録基準(iv)
百舌鳥・古市古墳群は、古代の東アジアにおいても優れた陵墓で、埴輪や葺石(ふきいし)で覆われた墳丘は階層社会の確立を示しているということ。
世界遺産マニアの結論と感想
学校の敷地内ある銭塚古墳は形状はほぼ残っていませんが、発掘調査が何度か行われたため、古墳が築かれた時代の日本の社会や葬送の文化がよく分かるという点で評価されています。
ちなみに、銭塚古墳は詳しく調査が行われた古墳ではありますが、現在も学校の敷地内にあるため、見学はできません。しかし、遠くからは眺めることだけは可能です(…といっても木が何本か並ぶ小さな丘であることが確認できる程度ではあるのですが)。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。