イタリアの世界遺産「ペスキエーラ・デル・ガルダの要塞都市」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(3), (4)
登録年2017年

ペスキエーラ・デル・ガルダの要塞都市は「16世紀から17世紀のヴェネツィアの防衛施設群:スタート・ダ・テッラと西スタート・ダ・マール」の構成資産の一つ。ペスキエーラ・デル・ガルダにはかつてイタリア北部を支配していた時代のヴェネツィアによって築かれた要塞が残っています。ところで、ペスキエーラ・デル・ガルダはなぜ世界遺産なのでしょうか?

ここではペスキエーラ・デル・ガルダがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ペスキエーラ・デル・ガルダについて詳しくなること間違なし!

目次

ペスキエーラ・デル・ガルダの要塞都市とは?

画像素材:shutterstock

現在のヴェネツィアを本拠地とした海洋国家であったヴェネツィア共和国(697〜1797年)。イタリアだけでなく、地中海各地に領土を持っていましたが、世界遺産としては、現在のイタリア、クロアチア、モンテネグロ各地の防衛施設が登録されています。これらはヴェネツィア共和国の権力と拡大を示すもの。

ペスキエーラ・デル・ガルダは、イタリア北部のガルダ湖の南側に位置する街。ローマ時代からの歴史を誇り、現在のヴェネト州一帯がヴェネツィア共和国の領土となると、ここにはヴェネツィアの要塞都市となりました。そして、オーストラリア帝国が19世紀に獲得したこともあり、イタリア北部においては重要な都市となりました。現在も川に挟まれた島に位置する旧市街の周囲には要塞跡が残っています。

ペスキエーラ・デル・ガルダの要塞都市はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

画像素材:shutterstock

ペスキエーラ・デル・ガルダが評価されたのが、以下の点。

登録基準(iii)
ヴェネツィアの防衛施設群は、共和国内で16〜17世紀にかけて発展し、近代化されたもので、スタート・ダ・テッラと西スタート・ダ・マールに残る防衛施設は、軍事施設というだけでなく、都市としての構造を持ち、ヴェネツィア湾付近からアドリア海まで広がっていたという点。

登録基準(iv)
ヴェネツィアの防衛施設群は、銃器を使用することが多くなった時代に構築された近代的な防衛施設で、スタート・ダ・テッラと西スタート・ダ・マールには技術や戦略、戦闘法、新たな建築要素を含み、近代的な防衛システムを確立していったということ。

世界遺産マニアの結論と感想

ペスキエーラ・デル・ガルダの旧市街には、スタード・デ・テッラの防衛施設が残っていて、当時の近代的な防衛システムが見られるという点で評価されています。

ちなみに、ガルダ湖沿いにあるバルドリーノはワインの名産地として有名で、ヴェネト州は濃厚な赤が多いなか、フレッシュで辛味がするバランスのとれた赤があることで知られます。ぜひペスキエーラ・デル・ガルダを訪れたら味わってみてくださいね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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