登録区分 | 文化遺産 |
---|---|
登録基準 | (1), (2), (3) |
登録年 | 1988年 |
戦士の神殿は「古代都市チチェン・イッツァ」の構成資産の一つ。ここは豊穣を願って生贄が捧げられた神殿で、柱がいくつも並ぶ美しい建造物でもあります。ところで、戦士の神殿はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここでは戦士の神殿がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、戦士の神殿について詳しくなること間違なし!
戦士の神殿とは?
ユカタン半島の北部・ユカタン州の州都メリダから東へ約120km。ここはマヤ文明の中でも中心都市であったチチェン・イッツァの遺跡があり、天文台や階段状のピラミッド・カスティーヨなどが残っています。戦士の神殿はカスティーヨの東にある神殿で、ここはメキシコ中央高原で繁栄したトルテカ様式と類似点が見られるのが特徴。
神殿には、戦士たちの浮き彫りが刻まれた柱が60本並んでいます。建造物の中央にあるピラミッドには、チャクモール像という太陽への生贄として心臓をのせるという儀礼用の賢三つがあり、実際に豊穣を願って儀式が行われていたと考えられています。神殿の南壁に沿って、柱の回廊が続き、これは「千本柱」と呼ばれ、その先には小さな神殿や寺院などへと繋がっているもの。
戦士の神殿はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
戦士の神殿が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
カスティーヨや戦士の神殿などの建設物は、メソアメリカ建築の傑作であるという点。
登録基準(ii)
チチェン・イッツァの建築物は、10〜15世紀にかけてユカタン半島の他の都市に大きな影響を与えたということ。
登録基準(iii)
チチェン・イッツァは、マヤ文明後期のマヤ・トルテカ文明の中でも最も繁栄したことを示す遺跡であるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
戦士の神殿は、マヤ文明後期の中でも繁栄したチチェン・イッツァの建造物であり、他のユカタン半島の都市にも影響を与えた傑作であるという点で評価されています。
ちなみに、チャクモールは人身御供の用途で使われるイメージがありますが、実際はそれだけでなく、お供物をのせたり、将来の統治者の鼻を突き刺す儀式にも利用されていて、実際にチャクモールの鼻には宝石があり、これはその儀式の名残であるという説も。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。