登録区分 | 文化遺産 |
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登録基準 | (2), (3), (4), (6) |
登録年 | 2004年 |
高野山・大門は「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つ。高野山でも最も西側に位置していて、1705年に再建された歴史ある建物であることから、重要文化財にも登録。ところで、大門はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここでは大門がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、大門について詳しくなること間違なし!
高野山・大門とは?
一般的に和歌山県の高野町にある山に囲まれた盆地が地名として「高野山」と呼ばれています。ここは真言宗の総本山であり、正式名称は「高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)」。そして、大門は高野山の正門であり、金剛峯寺の中でも最も西側に位置します。
大門は西方極楽浄土の方角に建てられた、五間三戸の二階二層門。創設年は不明であり、何度か再建されています。現在の門は高さが25.1mで、それ以前の門は1688年に炎上したために1705年に再建されたもの。中備え(なかぞなえ、柱上の組物と組物の間にあり、柱間を装飾するもの)には透かし彫りがあり、うさぎや孔雀、竹と筍など、さまざまな絵柄が見られます。
金剛力士像(仁王像)
左右の金剛力士像は江戸時代中期の作品で、大仏師である運長と康意の作とされています。これもはっきりとしてておらず、阿形像と吽形像には、4名の仏師が関わっていたとか。これらは東大寺の南大門の金剛力士像に次ぐ日本で二番目に大きい像でもあるのが特徴。
高野山・大門はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
大門が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
紀伊山地に残る霊場と参詣道は、神道と仏教が融合が見られ、東アジアにおける宗教文化の交流と発展を示すということ。
登録基準(iii)
紀伊山地に点在する神社や寺院は、この地の慣習を含めて、1000年以上に渡る日本独自の宗教の発展を示すものであるという点。
登録基準(iv)
紀伊山地は、日本各地の寺社の建築様式に大きな影響を与え、それらの形成のルーツともなっているという点。
登録基準(vi)
紀伊山地の霊場と森林には、1200年に渡って神の宿る地として信仰が維持され、それらが景観に見られるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
高野山の大門は、日本各地の建築様式に影響を与えた建造物で、日本独自の宗教観が見られ、現在も信仰が維持されているという点で評価されています。
ちなみに、大門がある位置には展望台があり、ここからの眺めは絶景と評判。晴れた日は淡路島まで眺めることができるほどで、「日本夕陽100選」にも選ばれています。かつて弘法大師も眺めていたであろう神秘的な夕日を眺めてみるというのもおすすめですよ!
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。