日本人にとってのおなじみのピザは、イタリアのナポリピッツァにルーツがあるのだが、実はそのピッツァのルーツの一つとされ食べ物がトルコにあった!あまりイメージないかもしれないが、トルコは「ピデ」と呼ばれるピザ風の料理が大いに発達した土地なのだ。そんなピデとはどんなグルメなのか?
今回は、トルコの世界遺産・チャタル・ヒュユクの新石器時代遺跡の帰りに味わったグルメ「ピデ」を紹介。世界遺産巡りのついでに味わってほしい「世界遺産級の激ウマ・グルメ」を解説していこう。
トルコの世界遺産「チャタル・ヒュユクの新石器時代遺跡」は人類初の農村だった場所
アナトリア半島の内陸部にある高原都市コンヤ。現在はトルコ有数の大都市だが、郊外には紀元前7500年前から紀元前5200年まで人が暮らしたという新石器時代から銅器時代に渡る集落跡がある。まぁ、ほとんどが住居の遺構で詳しいことが分かっていないのだが、ここは小麦や大麦などの作物の貯蔵庫があったことから、世界でも最初期の農村集落であったと考えられるのだ。
そして、ここでは地母神ともされる女性型の土偶が発見されていることから、農業は彼らの中でも重要なものだったと分かる。人類はこんなにも古い時代から小麦や大麦を食べていたと思うと、なかなか感慨深い…。
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ピデはオスマン帝国で発展したトルコ風のピザ
チャタル・ヒュユクの起点となるコンヤは、かつてルーム・セルジューク朝というイスラム王朝の首都であった場所で、クルクルと旋舞するメフレヴィー教団のリーダーであったルーミーの墓があることでも知られている。それもあり、街はトルコの中でもイスラム色が強く、モスクが多いのだが…なぜか名物がピデ(トルコ風ピザ)なのである。
いや、ピザというとイタリアのイメージがあるが、実はパン生地に具材をのせて食べる料理は古代にまで遡り、このような生地を平らにして焼き上げるというパンは、今でもヨーロッパから中東の各地で見られるのだ。その中でもピデというのはトルコ独自のピザであり、16世紀のオスマン帝国時代にはその姿が確認されていて、当時は既にピデの基準を定めた法律があったほど。ちなみに、スルタンがお気に入りだったのはチーズと卵のピデだったということで、既に料理としての原型が築かれていた様子。
やがて新大陸からトマトやピーマン、ジャガイモなどがもたらされると、バリエーションはどんどんと増えていった。現在のピデのスタイルは、おもに3つあって、ピザのような円形のもの、細長い舟型のもの、平べったいナンのようなもの。ピザとの主な違いは、生地の上にチーズをのせてから焼くというスタイルが基準ではなく、薄い生地にバターなどを塗って焼くこともあるため、全体的にアメリカスタイルのパンピザと比べるとサクサクしていて、割とあっさりとした味わいだ。
そして、地域ごとに違いもあり、黒海のピデは舟型が多かったり、コンヤのものは薄い生地だったりと、地方色が豊かだ。ここでコンヤのピデに話を戻して、コンヤの名物は「エトゥリ・エキメッキ」と呼ばれるピデ。これはトルコ語で「肉のパン」という意味。しかし、このエトリ・エキメッキ…とにかく、生地が細長すぎるのだ!店によっては2mはあろうかと思うくらい長い。…一人で頼むと確実に後悔しそうなメニューである。しかし、全体的に生地が薄く、サクサクで意外にもペロリと食べられてしまう。スナックのようなシンプルでありながらも肉の旨味がパンに行き渡り…
…これは「世界遺産級」の味わいだ!
ピデはピザ並みに奥深い…
と、ここではピデの「概要」くらいしか語っていないが、実はピデは地方色が強いと説明した通り、その種類はすべて確認できないほどに多い。というのも、ピザのような円形の生地に具材をのせた食べ物も具材を包んで焼いたパイのような食べ物も「ピデ」と呼ばれるので、とにかく、パン生地と具材の組み合わせはすべてこの料理のカテゴリーなのである。
…よって、トルコを旅慣れていても、とある街に行くと「こんなピデあったか!」と驚くくらいなのだ。トルコ人はケバブ好きかと思ったら、意外にもピザにもこだわりがあるから不思議。この地は世界でもかなり古い小麦の産地として確認されているだけに、ピデのような小麦粉料理が奥深くなるのは当然なのかもしれない…。
世界遺産のついでに世界遺産級のグルメも同時に楽しんでみてはいかが?
※こちらの内容は、あくまでも過去に現地を訪れた際に体験したものであり、最新情報はご自身でご確認ください。