ツタンカーメンというと、1925年にエジプト・ルクソールにある王家の谷から発掘された「黄金のマスク」で有名ですよね。ところでこの黄金のマスクにはどういった意味があり、そもそも棺のどの部分にあったのか?
今回はツタンカーメンの黄金のマスクを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ツタンカーメンの黄金のマスクについて具体的に理解できること間違いなし!
発見されたのは墓の発見から3年後の1925年

王家の谷は、ナイル川西岸の岩山に築かれた岩窟墓群。新王国時代のファラオの墓が多く集っているものの、すでに20世紀初期までにほとんどの墓が盗掘に遭っていました。しかし、エジプト第18王朝のツタンカーメン(紀元前1341年頃〜紀元前1323年頃)の王墓だけは、ラムセス6世の墓のための作業小屋の下にあったために目立たず、盗掘も2回程度でほとんど被害に遭ってないという奇跡みたいな状態でした。
1922年に考古学者ハワード・カーターが発見すると、1923年に内部が開かれました。そして、副葬品も大量に出てきたということもあり、石棺に至るまでは3年もの月日がかかったのです。
黄金のマスクは棺の奥にあった



※写真は2022年以前のもの
実はツタンカーメンの遺体は厳重に保護されていました。埋葬室にあった石棺の中には三層の棺が入っていて、さらにその周りには四層の厨子(ずし)で囲まれているという厳重に保護されたもの。マトリョーシカのように外していくと、最終的には黄金のマスクをかけられたツタンカーメンのミイラへとたどり着きます。
マスクはこれだけ厳重に保護されただけあって、非常に保存状態がよく、高さ54cm、重量10kg超、表面は1.5mmから3mmmの範囲で高カラットの金で仕上げられ、さらには、両目は水晶、眼の周囲と眉はラピスラズリなど、豪華な鉱石が使用。



縞柄の頭巾であるネメスの頭頂にはコブラと禿鷹が刻まれていますが、これは王冠のようなもので、下エジプトと上エジプトを統治を意味しているもの。背面には文字が刻まれていますが、これはエジプトの象形文字で『死者の書』の一節であり、葬礼のための文書。これらは冥界を通過する際の案内をするものでもあり、呪文でもあります。
あごひげは…実はとれてしまった?



エジプトの他の像と同じく、黄金のマスクもあごひげを持っていますが、実は発掘時はマスクから分離されていました。1944年に再び取り付けられたもの。現在は取り付けられているのが通常です。
しかし、2014年にエジプト考古学博物館にてクリーニングのために外した際に外れてしまい、スタッフが慌ててあごひげを樹脂で付けたものの、少しずれてしまい、2015年には損傷したことからバレてしまいました。結局、ドイツの学者たちによって修理され、当時と同じように蜜蝋を接着剤として使用し、現在はすっかりと元に戻っています。
世界遺産マニアの結論と感想
統治期間はたった10年にも満たないツタンカーメンですが、その草創品の数は膨大であり、その中でも黄金のマスクはツタンカーメンのミイラを包むだけあって、最も価値の高いものです。しかし、少年王のツタンカーメンですら、この完成度であることから、他の歴代のファラオたちの黄金のマスクを想像すると…恐ろしくなりますね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点は