トルコの世界遺産「ブルサとジュマルクズック:オスマン帝国発祥の地」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1), (2), (4), (6)
登録年2014年

トルコ北西部にあるマルマラ海の南側に位置するブルサは、14世紀にオスマン帝国初期の首都であった場所。市内にはモスクや霊廟、学校などで構成されるキュリエと呼ばれる宗教施設があり、郊外には都市部の経済を支えた農村地帯ジュマルクズックも含めて登録されています。これらはオスマン帝国による都市計画が見られるものとして評価。

ここではブルサとジュマルクズック:オスマン帝国発祥の地がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ブルサとジュマルクズックについて詳しくなること間違なし!

目次

ブルサとジュマルクズック:オスマン帝国発祥の地とは?

トルコ北西部のブルサ県の県都であるブルサ市は、人口が300万人を超えるトルコ第4の都市。ここはかつてトルコだけでなく、東地中海からバルカン半島まで支配したオスマン帝国の最初の首都があった場所。

ブルサには、14世紀にオスマン帝国によって建造された都市部と周囲の農村部から構成される新首都の都市設計が見られ、それが現在でも残るという点で評価されています。

ブルサ

画像素材:shutterstock

中心部には、14世紀に帝国の始祖オスマン1世と、その息子・オルハンなどの霊廟が築かれ、それにモスク、マドラサ(宗教学校)、ハマム(浴場)などが揃ったキュリエと呼ばれる公共施設が残ります。その周囲に家屋が建造され、町が拡大していきました。

ジュマルクズック

画像素材:shutterstock

ブルサの中心部から東へ約13kmほどの距離にある、オスマン帝国初期に建造された村。ここはオスマン帝国初期の農村風景がそのまま残っていて、2階建ての出窓があるカラフルな家屋は、典型的なオスマン帝国時代の建築様式となっています。伝統的な家屋は300近くもあり、その中でも約180の家屋は現在も利用されているというのも特徴。

ブルサとジュマルクズック:オスマン帝国発祥の地はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

画像素材:shutterstock

ブルサとジュマルクズックが評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
ブルサは公共施設であるキュリエを中心に町が拡大するように計画された首都で、これはオスマン帝国のスルタンによって築かれた独創的な都市設計が見られるということ。

登録基準(ii)
オスマン帝国の最初の首都だけあって、現在のギリシャやイラン、アラブなどの影響を受け、その後に建造される帝国各地の都市のモデルになったという点。

登録基準(iv)
オスマン帝国の最初の首都であり、ブルサ様式という独自の建築様式を築き上げ、モスクはホールや台所、マドラサ(神学校)などを備えた独特の様式を確立したということ。

世界遺産マニアの結論と感想

ブルサは、オスマン帝国初期の首都であって、公共施設を中心とした都市計画が見られるというのもポイント。その後、帝国内に築かれる建築様式がここで確立され、モデル都市にもなったという点で評価されています。

ちなみに、ブルサはイスケンデル・ケバブというヨーグルトをかけて食べるタイプのケバブの発祥の地。日本人からすると意外かもしれませんが、トルコでは割とよく見られるタイプのケバブでもあります。ちなみに「発祥の店」を自称するお店は2つあり、お互いライバル。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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