レオナルド・ダ・ヴィンチ作の『モナ・リザ』は、ルーヴル美術館の目玉の展示であり、世界で最も有名な絵画でもあります。しかし、有名な割にこの絵について分かっていないことが多いのも事実。
今回は『モナ・リザ』の謎について、現在明らかになっていることや考察を含めて世界遺産マニアが分かりやすく解説していきましょう。
モデルは一体誰?そもそも「モナ・リザ」とはどういう意味?

そもそもこの絵は、1503〜1504年にフィレンツェの裕福な商人であったフランチェスコ・デル・ジョコンダに依頼されたもの。その時の依頼が「妻であるリザ・ゲラルディーニ(リザ・デル・ジョコンド、1479年〜1542年あるいは1551年頃)という女性を描く」というものでした。彼女がどんな人物かはよく分かっていませんが、これは16世紀の美術史家ジョルジョ・ヴァザーリの記録であり、それが通説となっています。題名は「モナ・リザ(Mona Lisa)」と呼ばれ、モナ(Mona)とは「ma donna(私の貴婦人)」の短縮形であることから「私の婦人・リゼ」といった意味。
しかし…結局、レオナルド自身はこの絵を完成させることがなく、1519年に亡くなるまで、彼の手元に残され、何度も加筆されていました。よって、研究者によっては特定の女性ではなく、レオナルドの想像による「美の理想像」を示していたために、生涯離すことがなかったという説もあります。
盗難されたことから有名になった?



ダ・ヴィンチの死後、フランス王のフランソワ1世によって買い取られ、その後はフランス王家が所有するようになり、やがて王宮であったルーヴル美術館に置かれるようになります。しかし、1911年8月21日に盗難されてしまいました。そして、2年間行方不明となったため、美術界は大騒ぎ。世界的なニュースとなったため、これが多くの人が『モナ・リザ』の存在を知るきっかけとなったともなったのです。
犯人はイタリア人 ヴィンチェンツォ・ペルージャという人物で、彼はルーヴル美術館の職員を装い、月曜日の休館日に絵を持ち出しました。結局、美術商に売ろうとしていた時に逮捕されるのですが、2年間も行方不明だったために「すり替えられた」というような創作物のネタになることもあり、これも『モナ・リザ』を有名にしている理由でもあります。
その技法も実はすごい技法が使われていた?



『モナ・リザ』はまるで吸い込まれるような立体感がこれはダ・ヴィンチが想像したとされる「スフマート」という技法。「くすんだ」とか「薄れる」という意味合いで、顔の輪郭がはっきりしておらず、人間の肌や光の陰影が見事に表現されいてるのです。
そして、ダ・ヴィンチが取り入れた技法は「空気遠近法」。背景の風景がぼんやりと霞んで見えるように描かれていて、遠くにあるものは霞んで見え、近くのものはよりはっきり見えるという効果が生まれています。
これもあり、ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』は女性像と鑑賞する人間との距離感をもたせるという効果を生み出すことに成功した作品でもありました。つまり、革新的な技法が詰められていることこそが「傑作」である理由でもあるのです。
実は『モナ・リザ』はもう一つある?



世界的に有名な『モナ・リザ』は、ルーヴル美術館から存在しているものですが、実は専門家の間では『モナ・リザ』はいくつかのバージョンがあるとされています。その中でも有名なのは、1778年にイギリスで発見され、1913年にイギリスの美術収集家が所有していた『アイルワースのモナ・リザ』。
有名な作品である『岩窟の聖母』は2つのバージョンがあることでも知られることから、専門家たちはダ・ヴィンチが『モナ・リザ』を2回描いたという説が古くからありました。こちらはルーヴル美術館のものよりも、顔立ちが若々しく、背景の構造が異なります。もちろん、ルーブル美術館はコメントを否定していますが、専門家によってはこれが初期バージョンである可能性を述べているものの、はっきりしていないところ。
マドリードのプラド美術館が所蔵する『ラ・ジョコンダ(モナ・リザ)』も有名ですが、これはレオナルドの弟子が『モナ・リザ』と同時期に描いた模写だと考えられています。
世界遺産マニアの結論と感想
『モナ・リザ』は世界的に有名な割には、描かれた人物についてははっきりしておらず、さらにその背景も分かっていないため、逆にミステリーとなっているというのも事実。しかし、これはただの絵画というではなく、美術史における革命的な作品でもあり、今でも謎が増え続けるという不思議な作品でもありますね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。