ミケランジェロの『最後の審判』とは?世界遺産マニアが解説

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『最後の審判』は、世界遺産に登録されている、バチカン市国のシスティーナ礼拝堂の祭壇に描かれた、ルネサンス美術の最高傑作の一つ。ミケランジェロ(1475〜1564年)が66歳のときに完成させたこの作品は、キリストが死者を裁くという場面を壮大なスケールで表現し、後の時代の芸術に大きな影響を与えました。

今回はミケランジェロの『最後の審判』を世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、『最後の審判』について具体的に理解できること間違いなし!

目次

そもそも「最後の審判」とは?

『最後の審判』/バチカン市国
画像素材:shutterstock

まず、この絵画のテーマの「最後の審判」について、キリスト教の教義において、イエス・キリストが復活したことから、世界の終末に神がすべての人間を裁く「最後の審判」が行われ、善行を行った者は天国、悪行を行った者は地獄へ行くとされます。これは新約聖書、特に「マタイによる福音書」や「ヨハネの黙示録」に記述があり、このことからキリスト教関連の美術作品の中でも重要なテーマの一つとして多くの作品に描かれてきました。

構図としては、まさに裁きが下されている場面で、中心にキリストが配置され、右側に天国へ向かう人々、左側に地獄へ落ちる人々、天使がラッパを吹き、死者が復活する場面と地獄で悪魔が罪人を苦しめる描写となっています。

なぜ『最後の裁判』が描かれた?

システィーナ礼拝堂の天井画/バチカン市国

ミケランジェロはもともとは彫刻家としてフィレンツェで頭角を表し、1505年に教皇として選出したばかりのユリウス2世に霊廟の制作を依頼されるも、その途中で約4年かけてシスティーナ礼拝堂の天井画を描くことになります。

さらに1530年半ばにローマに移住すると、教皇クレメンス7世(1478〜1534年)からシスティーナ礼拝堂の祭壇画を依頼されます。彼は『最後の晩餐』1541〜1547年にかけて制作。もともとは祭壇画は存在していたのですが、ここにはシクストゥス4世(1414〜1484年)が描かれていていて、クレメンス7世は彼を恨んでいたためにすべて差し替えるように依頼されたとされています。

ミケランジェロの『最後の審判』の構成は?

『最後の審判』/バチカン市国
画像素材:shutterstock

キリストが審判を下す場面を壮大なスケールで表現していて、人物が力強く、天国と地獄の対比が劇的に描かれた大作です。縦13.7m✕横12.2mの巨大なフレスコ画には、約400人の人物が描かれ、天国・地上・地獄の三層構造で描かれています。

中央のイエス・キリストは、一般的なキリスト像とは異なり、ミケランジェロらしく、筋肉質で力強い姿で表現。キリストのそばに控える聖母マリアは、通常の慈愛に満ちた表情ではなく、少し怯えたような表情をしているのも特徴です。ちなみに、皮を剥がれた聖バルトロマイの皮は、ミケランジェロ自身の顔だとされるもの。

しかし、作品の人物はほぼ全裸で描かれたため、当時は物議を醸し、1564年にミケランジェロの弟子ダニエレ・ダ・ヴォルテッラが命じられ、性器に布を加筆していて、これは現在でもそのままにされています。

世界遺産マニアの結論と感想

『最後の審判』は、ミケランジェロの代表作であり、壮大なスケールや大胆な構図、力強い人体表現が特徴。途中で布を被されてしまっていますが、現在もシスティーナ礼拝堂で残されていて、今でもミケランジェロの表現した『最後の審判』の世界観が見られます。そして、ルネサンスの傑作であり、その後、ヨーロッパで普及するマニエリスムへと繋がる作品でもありました。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1200以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定マイスター認定済。

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