バチカン市国の世界遺産「バチカン市国」とは?サン・ピエトロ大聖堂やシスティーナ礼拝堂とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1),(2),(4),(6)
登録年1984年

バチカン市国は、ローマ教皇を元首とした世界最小の国家です。バチカンはカトリック教徒においては最も神聖な場所で、イエス・キリストの最初の使徒であるペテロの墓があったとされる場所の上に建つのがサン・ピエトロ大聖堂。ここはラファエロやミケランジェロ、ベルニーニなど、世界的に有名な芸術家の傑作が多く残されている場所としても有名です。

ここでは、バチカン市国がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、バチカン市国について詳しくなること間違いなし!

目次

バチカン市国とは?その面積と歴史を解説

ローマの市内にあるバチカン市国の面積と人口は?

バチカン市国
画像素材:shutterstock

イタリアの首都ローマ市内にある独立国家・バチカン市国。ローマ教皇を元首とした面積0.44平方kmの小さな国家で、人口は約800人ほど。日本でいうと東京ディズニーランドの面積とほぼ同じです。カトリック教会の中枢であり、多くのカトリック教徒が集まる場所。ここは約2000年の歴史を誇る場所でもあり、国全体が世界遺産となっていると珍しい遺産です。

バチカンの丘は、イエス・キリストの最初の使徒であり、初代ローマ教皇とされるペテロの墓があったとされる場所。もともとはネクロポリスとしてローマ市内の埋葬地として利用されていた場所ですが、4世紀にローマ帝国でキリスト教が国教となると、4世紀に皇帝コンスタンティヌス1世によってバシリカ式の教会堂が建築されました。

バチカン市国が成立したのは意外と最近

サン・ピエトロ広場/バチカン市国
画像素材:shutterstock

8世紀にはローマ周辺は「教皇領」として独自の支配権を獲得。教皇が本拠地としていたのは、ローマ市内のラテラノ宮殿でしたが、14世紀になると火災に遭って荒廃したため、現在のバチカンに移ります。しかし、当時のサン・ピエトロ大聖堂はかなり荒廃していました。

15世紀に当時の教皇であったニコラウス5世によって、大きな聖堂へと改築されることになりました。最終的にミケランジェロ・ブオナローティによって建設計画が引き継がれ、世界最大規模の大聖堂が完成したのは1626年。19世紀にイタリア王国が成立すると、1929年にバチカンは独立国家として承認され、サン・ピエトロ大聖堂とその周辺が「バチカン市国」として独立国家になっています。

サン・ピエトロ大聖堂

ルネサンスの芸術家ミケランジェロも設計者の一人

サン・ピエトロ大聖堂/バチカン市国
画像素材:shutterstock

サン・ピエトロは、「聖ペテロ」という意味で、使徒ペテロが殉教した墓の上に建つとされています。大聖堂の面積は2万2000平方kmで世界最大規模のキリスト教の大聖堂。

4世紀に皇帝コンスタンティヌス1世によって聖堂が建設されるものの、15世紀末には荒廃してしまい、教皇ニコラウス5世によって改修されることになりました。最初はドナト・ブラマンテが主任建築家となるものの、資金不足と技術的な問題があり、1514年に死去。その後、ラファエロ・サンティを起用しましたが、彼もすぐに1520年に亡くなりました。最終的にミケランジェロ・ブオナローティによって建設計画が引き継がれ、ようやく完成したのは1626年。着工から完成まで120年もかかり、ブラマンテ、ラファエロ、ミケランジェロなどの芸術家によって設計された上に、教皇の意向なども入り、途中で何度も修正されました。

聖堂内にはミケランジェロの最高傑作『ピエタ』があることでも有名

サン・ピエトロ大聖堂/バチカン市国
画像素材:shutterstock

大聖堂はもともとはミケランジェロが集中式で建造されたものですが、後のラテン十字型に戻されています。ミケランジェロの設計した大円蓋(クーポラ)も半球型でしたが、彼の死後に尖塔型に変更。

聖堂内にある『サン・ピエトロのピエタ』はミケランジェロの最高傑作の一つで、「ピエタ」とは十字架から降ろされたイエス・キリストと聖母マリアを表現したもの。17世紀になると、ジャン・ロレンツォ・ベルーニによって、聖ペテロの司教座と144体の聖人像が並ぶサン・ピエトロ広場が完成しました。

バチカン宮殿

バチカン宮殿/バチカン市国
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サン・ピエトロ大聖堂に隣接したローマ教皇の住居。14世紀にローマ教皇が住むようになると、壮麗な建築物として改築されました。16世紀にクイリナーレ宮殿に住居が移転するも、1871年から再びローマ教皇の住居となります。館内の一部は、バチカン美術館として、ミケランジェロが製作した天井画のあるシスティーナ礼拝堂や「ラファエロの間」などあることで有名。

システィーナ礼拝堂

システィーナ礼拝堂/バチカン市国
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ミケランジェロの天井画『最後の審判』がある

バチカン宮殿にある礼拝堂で、現在はバチカン美術館の一部となっているもの。ローマ教皇を選出するコンクラーヴェが開催される場所としても有名です。もともとはバチカン宮殿にあった古い礼拝堂の跡地に、15世紀にシクストゥス4世によって建設されたもの。

その後、ボッティチェッリ、ギルランダイオ、ペルジーノ、ミケランジェロなどの、ルネサンスの芸術家によってフレスコ画が描かれました。特に1508〜1512年に描かれた天井画はミケランジェロの代表的な作品。これは旧約聖書の『創世記』をテーマにしていて、特に祭壇裏の『最後の審判』はあまりにも有名。

バチカン美術館

バチカン美術館/バチカン市国
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館内には有名作品だらけ

バチカン宮殿の北側にあるローマ教皇のコレクションを展示する美術館。宮殿の一部を美術館としていて、図書館や「ラファエロの間」なども含まれています。特にラファエロの間は4つの部屋の総称で、さまざまなテーマで描かれたフレスコ画で埋め尽くされたもの。その中でも『アテナイの学堂』は、歴史的に有名な学者や芸術家、軍人が描かれたもので、ラファエロの最高傑作とされています。

バチカン市国はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

バチカン市国
画像素材:shutterstock

バチカン市国が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
バチカンは、大聖堂だけでなく、何世紀にも渡って芸術作品が並び、空間そのものが傑作であるという点。

登録基準(ii)
バチカンの建築物や作品は世界各地で模倣されており、16世紀以降の芸術の発展に影響を与えているということ。

登録基準(iv)
バチカンの大聖堂と宮殿は、ルネサンスとバロック様式のモデルともいうべき建築物であるという点。

登録基準(vi)
キリスト教の歴史と密接に結びついているバチカンは、初代ローマ教皇であるペテロの墓とされていて、巡礼地でもあるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

さまざまな世界遺産がありますが、国がまるごと世界遺産が登録されているものはなく、唯一無二の遺産でもあります。バチカンの大聖堂と宮殿は、建築物としてはルネサンスとバロック様式の傑作であり、世界でも最高峰の芸術作品を保管していて、16世紀以降の芸術にも大いに影響を与えたもの。そして、初代ローマ教皇ペテロが殉教した場であり、ローマ教皇が住む場所として、キリスト教徒にとっては重要な聖地となっているという点でも評価。

ちなみに、バチカンを守るスイス衛兵は、かつて世界最強ともいわれるスイス傭兵の名残。現在のスイスでは傭兵は禁止されていますが、バチカンだけ例外的に許可されています。派手なユニフォームはミケランジェロによるデザインという伝説があるほどで、ミケランジェロは多彩な才能があったのでしょうね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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