ナポレオン・ボナパルト(1769〜1821年)の墓は、フランス・パリの「アンヴァリッド(廃兵院)」 にあります。墓があるのはアンヴァリッド内にある「ドーム教会」 で金色のドームが目印。 この教会の中央に、ナポレオンの巨大な棺が置かれています。
今回はナポレオンの墓を世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ナポレオンの墓について具体的に理解できること間違いなし!
ナポレオンの遺体はどうやってフランスに戻ったの?

ナポレオンは南大西洋の孤島セントヘレナ島に追放され、1821年に亡くなりました。 しかし、彼の遺体はすぐにフランスへ戻されたわけではありません。ナポレオンは亡くなる前、「フランスのセーヌ川のほとりに埋葬してほしい」と願いました。 しかし、当時フランスを支配していたルイ18世は拒否し、イギリスも遺体の返還を拒否。 そのままセントヘレナ島に埋葬されることに。
1840年(ナポレオンの死後19年)、ようやくフランス政府は彼の遺体をフランスへ移葬することを決定。 フランス海軍の軍艦 「ベル・プール号」 が派遣され、10月14日の真夜中にセントヘレナ島で遺体を掘り起こしました。なんと…ナポレオンの遺体はほとんど腐敗していなかったと関係者が驚愕。これには諸説あり、「湿度や土壌の影響」「防腐処理のせい」「ヒ素による毒殺説」などが議論されました。それはともかく、12月15日にいよいよフランスへと帰還したのです。
1840年からパリのアンヴァリッドのドーム教会で埋葬



ナポレオンをどこに埋葬するかでフランス政府内でも意見が割れ、歴代の王が眠るサン=ドニ教会のほか、凱旋門、パリのパンテオンなど、さまざまなアイデアがあったものの、最終的にはにルイ14世(1638〜1715年)によって戦争で傷ついた兵士を看護する施設「アンヴァリッド(廃兵院)」に決定しています。
ナポレオンの墓はドーム教会の中央に堂々と置かれました。これは巨大な赤い棺となっていて、ロシア産の赤い斑岩を使用。ちなみに棺は5層とも7層ともなっていると言われ、厳重に守られています。その周囲には彼の勝利の数である12本の柱で支えられた円形の回廊に囲まれていて、壁はナポレオンの功績を讃える10枚の大きなレリーフパネルも飾られ、ここは神殿のようになっているのが特徴。
世界遺産マニアの結論と感想
フランス最大の英雄・ナポレオンは死後19年経ってようやくフランスへと戻ってきました。そして、彼の墓はただの墓ではなく、彼の生涯と伝説を象徴するモニュメントとなっています。 死後も威厳を放ち続けるナポレオン…さすがフランス史上最大の英雄でもありますね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。