登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (2) |
登録年 | 2009年 |
「ストックレー邸」は、銀行家のアドルフ・ストックレーがウィーン分離派の建築家、ヨーゼフ・ホフマンに依頼した、首都ブリュッセルにある邸宅。1911年に完成し、幾何学的なデザインはアールデコ様式の先取りするものでした。ストックレー邸の内装はグスタフ・クリムトとフェルナン・クノップフが手がけていて、ウィーン分離派の完成度の高い建築物でもあります。
ここでは、ストックレー邸がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ストックレー邸について詳しくなること間違いなし!
ストックレー邸とは?そもそもウィーン分離派とは?
アドルフ・ストックレーは1871年にベルギーの銀行家の家に生まれ、銀行の頭取になった人物。彼はウィーンでウィーン分離派のヨーゼフ・ホフマンに出会い、私邸の建築を依頼しました。そして、予算の上限もなかったので、邸宅は彼のやりたい放題に作れたという経緯があります。
ウィーン分離派とは、キュンストラーハウス(芸術家集団)という保守的な絵画や伝統芸術を行う活動から分離することを目指した芸術家グループのこと。当時ヨーロッパで流行っていたのが、アール・ヌーヴォーという曲線があるようなデザインでした。次に登場したのが幾何学的なデザインのアール・デコ。ウィーン分離派は、アール・ヌーヴォーとアール・デコの間にあり、結びつけるような存在でした。
ストックレー邸は、ホフマンの指導の下で、内外の建築、装飾、家具、庭園、花壇など、すべてを同時にデザインするという「総合芸術作品(ゲザムトクンストヴェルク)」を実現した邸宅。そのスタイルは、ベルギーや他の国々の多くの建築家に大きく影響を与えました。これはこの後、世界的に流行するアール・デコの先鋭的な建築物でもあるのです。
ストックレー邸はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ストックレー邸が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
ヨーゼフ・ホフマンの監督下で建造されたストックレー邸は、総合芸術作品を体現するウィーン分離派の傑作であるということ。
登録基準(ii)
アール・ヌーヴォーが流行したブリュッセルで作られた建築物であり、モダニズム建築とアール・デコの誕生に大きな影響を及ぼしたという点。
世界遺産マニアの結論と感想
当時のベルギーは、アール・ヌーヴォー真っ盛りの中で、あえてモダニズムのような幾何学的で、邸宅内のすべてのデザインを行うという総合芸術作品というスタイルはかなり斬新的なものでした。外から中まですべてデザインするというのはかなり革新的で、ある意味、芸術家たちの「やりたい放題」の結果、すごいものができてしまった…ということですね。
ちなみに、ホフマンたちは子供のおもちゃまですべてデザインしたということで、ストックレーからすれば、ある意味、当時の最先端の「モデルハウス」をそのまま買ったような感覚だったのかもしれませんね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。