登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(3),(4) |
登録年 | 1979年 |
アンティグア・グアテマラは首都グアテマラ・シティから南西へ約40km。ここは16世紀に築かれた植民都市で、一時期はグアテマラの首都でもあったことも。この地は地震が多いため、耐震性の強い建築物が築かれたものの、1773年の大地震で崩壊。その後、街は放棄され、当時の町並みが残っています。
ここではアンティグア・グアテマラがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アンティグア・グアテマラについて詳しくなること間違いなし!
アンティグア・グアテマラとは?
グアテマラ南部に位置するアンティグア・グアテマラは、「古いグアテマラ」という意味で、かつては首都でもありました。街は標高約1530mの位置にあり、周囲は地震が発生しやすい地域でもあります。当時のグアテマラ総督府の首都は2回ほど遷都し、1543年にパンチョイ谷に3番目の首都として設立。当時の名前はサンティアーゴ・デ・ロス・カバジェーロス。以降、230年に渡ってここが首都となりました。
街はイタリアのルネサンス様式の区画で碁盤の目のような構造になっていて、16世紀当時の植民都市の区画が今でも見られます。街の創設後も何度も地震が発生し、その度に建物は壁を厚くし、太く短い柱が築かれ、鐘楼も低層になっているというのが特徴。
旧市街には、教会堂や神学校などが建設されるも、1773年の大地震によって街は崩壊。その後、現在のグアテマラ・シティへと首都が移され、約100年後、街は復活されたため、ここはアンティグア・グアテマラ(古いグアテマラ)と呼ばれるようになりました。
ラ・メルセー教会
旧市街の北部にある17世紀建造の教会で、もともとは修道院でした。18世紀には地震によって崩壊し、さらに補強されたため、現在でも当時の姿を残しています。バロック様式の豪華なファサードで、地震の多いグアテマラらしく、入口に設置された2つの鐘楼は低いというが特徴。
アンティグア・グアテマラはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
アンティグア・グアテマラが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
アンティグア・グアテマラは、17〜18世紀にかけてスペインや他のラテンアメリカの都市と交易し、バロック様式の建造物はスペインの植民都市としての名残を残すということ。
登録基準(iii)
アンティグア・グアテマラは、16世紀に遡る都市計画がそのまま見られ、ラテンアメリカにおける初期の計画都市の優れた例であるという点。
登録基準(iv)
アンティグア・グアテマラに残る耐震性の高い教会や修道院は、植民地時代にキリスト教が市民の生活に大きな影響を与えていたということを示すというもの。
世界遺産マニアの結論と感想
アンティグア・グアテマラは、地震が多いエリアなのにもかかわらず、耐震性を強化した教会や修道院などが残存。たまたま街が放棄されたということもあり、植民都市としての姿を現在まで残すという点で評価。そして、町中に残る無数の教会は市民のキリスト教の信仰心の強さを示すというのもポイント。
ちなみに、グアテマラ総督府の2番目の首都であったシウダー・ビエハは「古都」を意味し、きちんと現在の首都でないことを都市名で強調しています。しかし、ここも火山泥流によって破壊。グアテマラの自然の恐ろしさが垣間見れますね…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。