登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (4) |
登録年 | 1980年 |
エチオピア北部にあるアクスムは、1世紀に建造されたアクスム王国の首都であった場所。ここは7世紀まで栄えた王国の中心都市で、ステッレと呼ばれるオベリスク(巨石柱)を含めて石柱が数多く点在し、遺跡からはかつてのアクスム王国の繁栄が見られます。
ここではアクスムがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アクスムについて詳しくなること間違いなし!
アクスムとは?アクスム王国の宗教都市?
アクスムは、エチオピア北部ティグレ州にある街。ここは1〜8世紀にかけて栄えた、キリスト教国家であり、エチオピア最古の国家アクスムの首都であった場所です。王国は交易で繁栄し、インドやローマまで交易するほどで、象牙や金などが主な輸出品でした。
この遺跡を代表するものは、街の北側の北ステッレ公園にあるステッレとよばれる4世紀頃に築かれたオベリスク(巨石柱)。特に大ステッレと呼ばれるオベリスクは、高さ33mもあるものの、現在は倒壊。ステッレは墓標だったと考えられていて、繊細なレリーフが掘られています。このエリアには無数の柱があるものの、ほとんどが崩壊。4世紀に建造されたエザナ王のステッレも残っていて、これは現在も直立したままとなっています。
この「エザナ王」とよばれる王が統治していた時期が最盛期とされ、キリスト教が持ち込まれたのも彼の治世の時だと考えられてます。ここで発見されたゲエズ語(古代エチオピアの言語)、サベ語、ギリシャ語の3言語で刻まれたエザナストーンも世界遺産に登録。
石柱があるエリアの近くには、シオンのマリア教会があり、これはエザナ王の時代の創建されたとされますが、現在の建造物は17世紀に築かれたもの。礼拝堂には、かの有名なモーセの十戒が刻まれた石版の入った「契約の箱(アーク)」が保管されているとされ、エチオピア正教徒にとって聖地とされています。
アクスムはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
アクスムが評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
3〜4世紀に築かれたステッレは人類の創造性が見られる傑作であったという点。
登録基準(iv)
ステッレや王家の墓、教会などは、アクスム王国の富と権力によって発展した文化が見られるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ステッレや王家の墓、アクスム王国時代から続く教会などは、かつてこの地で繁栄した大国の文化が見られ、特にステッレは人類における傑作でもあるという点で評価されています。
ちなみに、ステッレで最も高いのは33mもの高さを誇る大ステッレですが、2番目に高い「アクスムのオベリスク」は1937年にイタリアに持ち込まれたものの、2005年に返還。もともとここには4つした直立しているステッレはあったのですが、これで5つになり、少し豪華になっています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。