登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (2), (3) |
登録年 | 1996年 |
カステル・デル・モンテは、イタリアの南部、プッリャ州の郊外にある城で、13世紀に神聖ローマ皇帝・フリードリヒ2世によって建造されました。城はイスラムや北欧のゴシック様式などの建築技術を取り入れ、上空から見ると八角形になるような幾何学的な構造になっています。
ここでは、カステル・デル・モンテがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、カステル・デル・モンテについて詳しくなること間違いなし!
カステル・デル・モンテとは?
プッリャ州のアンドリア郊外にあるカステル・デル・モンテは、1240年に学問と芸術を好んだフリードリヒ2世によって建設された城。天文学や数学などを駆使して、八角形にされており、城は教養が高かったフリードリヒ2世の数学への深い関心が見られます。
彼の宮廷には地中海からさまざまな学者が集められ、ヨーロッパとイスラムの建築様式を組み合わせて造られました。城は当時としてはユニークなデザインで、八角形の構造になっており、それぞれの角にはまた八角形の塔が設けられています。実は黄金比を用いられて建設されているというのも、ルネサンスを先取りしたもの。
イスラムや北欧など、さまざまな建築様式を組み合わされて造られた城は、フリードリヒ2世の先進的な発想を反映している、中世建築の傑作と言えるでしょう。
カステル・デル・モンテはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
カステル・デル・モンテが評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
城は北欧やイスラムなどの建築様式を取り入れ、フリードリヒ2世の先鋭的な発想を反映したユニークな建築物であるという点。
登録基準(ii)
フリードリヒ2世は、ギリシャ、アラブ、イタリア、ユダヤ人の学者を宮廷に集め、国際感覚を持っており、それが城にも見られるということ。
登録基準(iii)
カステル・デル・モンテは、地中海文明の知識と発想を組み合わせたものであったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
フリードリヒ2世は「生まれるのが早過ぎた」と言われるタイプの皇帝で、ルネサンスが始まる200年以上前にオリエントの知識を取り入れ、芸術や学問を愛したことで知られます。実際にカステル・デル・モンテは、イタリアらしさをあまり感じない城でありますが、これはイスラム建築やゴシック建築の要素を取り入れたため。
カステル・デル・モンテは、軍事要塞のようにみえますが、実際は要塞というよりも別荘的な用途で造られたようです。つまりは、先進的な皇帝の「趣味の建物」であったと考えていいでしょう。だからこそ、これだけこだわりのある建築物が作れたのだと思われます。フリードリヒ2世は遊び心たっぷりの人だったんでしょうね…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。