登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (4) |
登録年 | 1994年(2017年範囲縮減) |
ジョージア西部に位置する都市クタイシの郊外にあるゲラティ修道院は、12世紀に建造され、中世ジョージアの黄金時代における科学や神学の中心だった場所。修道院内あるアカデミーは、ジョージアの文化の中心地で「第2のアトス」と呼ばれるほどの名声がありました。
ここではゲラティ修道院がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ゲラティ修道院について詳しくなること間違いなし!
ゲラティ修道院とは?
北部コーカサスの山々の南側に位置するクタイシは、シルクロードの要衝として栄え、グルジア王国(1008〜1490年)の首都だった場所。郊外にあるゲラティ修道院は、1106年に当時の王・ダヴィド4世によって建造が始まり、彼の息子であるデメトレが1130年に完成させたもの。ここは12〜17世紀にかけて壁画が描かれ、その芸術的なモザイクは中世ジョージアの黄金時代が垣間見られる建造物です。
ここは科学と教育の中心地でもあり、ジョージア文化の中枢でもありました。もちろん、ジョージアにおける神学の中心でもあり、写本やイコンが大量に保存されていて、最も古いのは12世紀の福音書というほどに資料としての価値も優れたもの。
危機遺産(危機にさらされている世界遺産リスト)
もともとは1994年に「バグラティ大聖堂とゲラティ修道院」として登録された遺産で、バグラティ大聖堂はクタイシのランドマークであったものの、17世紀に破壊され、廃墟となっていたものを修復して維持されていました。
しかし、再建工事計画が真正性を損なうもののとして、2010年に危機遺産に。結局、2017年には世界遺産リストから外され、ゲラティ修道院のみの単独登録となりました。
ゲラティ修道院はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ゲラティ修道院が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iv)
ゲラティ修道院は、ジョージアの黄金時代の建築物の傑作であり、中世に建造された正教会の修道院の中でも最大規模で、自然環境との調和もみられます。そして、保存状態の良いモザイク装飾は正教会の本場・東ローマ帝国にも匹敵するほどの規模で、王や女王、聖職者など、さまざまな肖像画が描かれているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
クタイシは、中世に繁栄したグルジア王国の首都であったというだけあって、王自ら建造したゲラティ修道院は、その規模と建築技術ともに中世グルジアにおいてはトップクラス。そして、ここに残るモザイクは、モザイクの本場・東ローマ帝国のものにも引けを取らない規模で、保存状態が良いという点で評価されています。
ちなみに、バグラティ大聖堂は、かなり味のあった大聖堂だったのですが、確かに再建されたものは、屋根の塗装も新しく、いわゆる「新築の大聖堂」といった感じにされてしまいました…。ただ地元民からすれば、大聖堂は信仰のシンボルでもありますし、「古ければ良いというものではない」ということだと思いますので、遺産の保護は本当に難しいなーと感じる案件ですね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。