ベトナムの世界遺産「ハノイのタンロン皇城の中心区域」とは?周囲の遺跡を含めて世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2),(3),(4)
登録年2010年

ベトナムの首都ハノイに残るタンロン皇城は、11世紀にハノイに開かれた李朝の居城で、7世紀に中国が紅河デルタの上に建造した要塞遺跡を利用したもの。ここは18世紀まで中国から独立を続け、南部のチャンパ王国の影響を受けつつ、大越国の中心として利用された場所として、東南アジア独自の文化が今でも見られます。

ここではハノイのタンロン皇城の中心区域がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、タンロン皇城の中心区域について詳しくなること間違いなし!

目次

ハノイのタンロン皇城の中心区域とは?ホアンディウ考古遺跡も含む?

ハノイのタンロン皇城の中心区域
画像素材:shutterstock

タンロン皇城は李朝の王宮的存在で、ハノイの中心部にあり、保存状態も良好なもの。11世紀に誕生した李朝(1009~1226年)は、南部にあったホアルーからタンロン(昇竜、現ハノイ)へと遷都しました。そして、初めて国号を「大越」として、中国から本格的に独立。

タンロン皇城は、7世紀に当時支配していた中国によって紅河デルタの上に築かれた要塞跡を利用して建造されたもの。その後、途中に首都は移転することがあったものの、19世紀までここが大越国の政治の中枢となることが多かった場所。皇城の周囲に広がるホアンディウ考古遺跡では、中国の影響を受けながら、ベトナム南部に存在していたチャンパ王国の文化とも合わさったという、東南アジア独自の文化が垣間見られます。

ハノイのタンロン皇城の中心区域はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ハノイのタンロン皇城の中心区域
画像素材:shutterstock

タンロン皇城の中心区域が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
タンロンの皇城は、北の中国と南に存在していたチャンパ王国の影響が見られ、異文化交流によって形成されたという点。

登録基準(iii)
7世紀にこの地に中国が要塞を築いてから現在に至るまで、キン族(ベト族)による文化の伝統が見られるということ。

登録基準(vi)
タンロン皇城は、政治機能を持っていましたが、ここはベトナムの人々の芸術や哲学、宗教観などが見られ、大越国として独立して以降1000年以上に渡る国家の形成と発展を示しているという点。

世界遺産マニアの結論と感想

ハノイそのものは、中国の支配下時代に築かれた都市ではありますが、タンロン皇城はベトナムのルーツ的な場所で、中国や南部のチャンパ王国の影響を受け、独自の文化が形成されたという点で評価されています。

ちなみに、李朝は217年もの間、存在した王朝です。実はベトナムは中国の支配下に置かれていた時代以降だと、長期王朝というものが存在しておらず、李朝が最も長くベトナムを支配した王朝でもあります。中国と東南アジア各国の間にある土地柄もあって、長期王朝を作るのがなかなか難しかったんでしょうね…。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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