登録区分(暫定リストに記載) | 文化遺産 |
登録基準(暫定リストに記載) | (1),(2),(3),(4) |
申請年(暫定リスト) | 1992年 |
彦根城は最近ニュースなどで「世界遺産登録を目指す」という記事を見ると思います。実は世界遺産の一歩手前まで来ている段階ではあるのですが…なぜまだ世界遺産に登録されていないのか?
ここでは彦根城が、なぜ世界遺産でないのか?世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、彦根城について詳しくなること間違いなし!
彦根城とは?
琵琶湖の東岸に位置する彦根城は、17世紀初頭に建造された城郭建築の黄金期を示す城。ここは丘の上に築かれた城で、2つの堀で囲まれています。内城は城壁で囲まれていて本丸と二の丸、三の丸で分かれていて、城の北側には大名庭園が並ぶという構造。そして、城の周囲には武家屋敷や商人の家々が並んでいました。
城は曲輪(城の周囲の土塁や石垣の構造)が現在でもよく残っていて、日本でも数少ない、江戸時代から保存されている貴重な現存天守を持つのが特徴。そして、櫓や門、内堀や外堀も残っていて、城の北側には洛楽園と玄宮園といった大名庭園も見られます。周囲の城下町は建築物はほぼ残存していませんが、区画はかつての城下町のまま残存。
彦根城はなぜ世界遺産として登録されないの?
もちろん、日本政府も彦根城の価値を理解しているので、1992年には「彦根城」として、世界遺産の暫定リストとして登録しています。しかし、この「暫定リスト」というのはあくまでも「世界遺産候補」というだけであって、正式に世界遺産に認められるには、毎年開催される世界遺産委員会にて、文化遺産としてふさわしいか専門調査が行われた後、委員会で決定され、初めて世界遺産になるのです。
実は、1992年に世界遺産の暫定リストにはなったのですが、これはあくまでも「価値がある」というだけで、具体的な登録までの活動が始まったのは2008年の世界遺産登録推進室が新設されてから。その後、彦根城世界遺産推進委員会が設置されると、2019年には滋賀県と彦根市によって推薦書原案が文化庁へ提出されました。そして、素案は2022年の時点で3回目となり、現在は2025年に国内推薦、2027年の登録を目指しているのです!
日本政府はユネスコの諮問機関イコモス(国際記念物遺跡会議)に「事前評価」を活用して目指す予定なので、手続きも割とスムーズになると思われます。
彦根城はどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?
日本政府が提出したの暫定リストに記載されている登録基準としては、以下の点。
※これらは1992年に暫定リストに記載された、日本における基準です。
登録基準(i)
人類の創造的資質
登録基準(ii)
文化の交流を示すもの
登録基準(iii)
現存or消滅した文明の証拠
登録基準(iv)
人類の歴史を象徴する建築物の代表的な段階や景観の見本
実は世界遺産の登録価値というのは、2010年までは言明する必要性がなかったため、暫定リストでは詳しくは記載がありません。彦根城世界遺産登録推進協議会による特設サイトによると…
戦国時代から続く城郭建築の総決算的な城ではあるものの、江戸時代を通して実は一度も戦闘を経験していない城という事情もあり、武士たちはここに集まり、政治に取り組み、文化をたしなみ、武芸に励みました。ここは安定と調和のシンボルという点で価値がある「不戦の城」である
…として世界に問いかける様子。
世界遺産マニアの結論と感想
城郭建築としての世界遺産は、姫路城が有名ですが、世界遺産としての取り組みも県と市でもモチベーションが高く、近いうちに世界遺産になることでしょう。ここは保存状態の良い城としての価値も高いですが、中山道と北陸道の交流地であり、武士たちの文化や、譜代大名として幕府の中枢にいた井伊家の大名を多く輩出したという点でも価値を付けていく予定のようです。
ちなみに、ゆるキャラの先駆的存在である「ひこにゃん」は今でも現役のマスコット。ひこにゃんが被っている赤い兜は「井伊の赤備え」と呼ばれる、井伊家の武士団が赤色の具足を付けていたことから由来。ルーツは武田信玄の部下である飯富虎昌の騎馬部隊であり、猛々しい猛者たちの集団であったとされ、それは大阪夏の陣での真田家にも引き継がれました。
しかし、戦闘の少なくなった江戸時代初期には既に「格好だけ」の存在となってしまい、家康も部隊の軟弱ぶりに嘆いたという逸話があるほど。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。