登録区分 | 文化遺産(危機遺産 2016年〜) |
登録基準 | (2), (3), (6) |
登録年 | 1982年 |
キュレネは、リビア北東部キレナイカ地方にある遺跡で、かつてはギリシャの主要都市の1つでした。後にローマの植民都市となりましたが、365年の地震が発生するまで大いに繁栄。やがて衰退した後、18世紀に発見され、遺跡として整備されました。
ここでは、キュレネの考古遺跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、キュレネについて詳しくなること間違いなし!
キュレネの考古遺跡とは?
現在のリビア北東部にあり、地中海に面した広大な遺跡。紀元前630年頃に、ティラ島(サントリーニ島)のギリシャ人たちが築いたというのが始まり。当時のティラ島は、飢饉で苦しんでおり、太陽神アポロンの信託を受けてこの島に移住したという伝説があります。そして、アポロンに捧げられた泉、キュレネからこの町の名を名付けられました。
エジプトとカルタゴ(現在のチュニジア北部)という大国の間に位置していた上に、ギリシャ都市との交易関係を築いていたため、町は大いに繁栄。しかし、紀元前4世紀にアレクサンドロス大王に制服され、エジプトのプトレマイオス朝に支配されるようになると、次第に没落していきました。この頃は、貿易都市というよりも学術都市として有名に。特に地球の大きさを人類史上初めて測定した、エラトステネスを輩出した都市としても知られます。
そして、74年にはローマの属州の一つになったものの、ギリシャ系住民とユダヤ住民の対決により、町は破壊されました。しかし、その後、ローマ風の建築様式に再建。4世紀になると大地震が発生し、7世紀にイスラム教徒による攻撃によって町は完全に破壊。1705年にフランス人のクロード・ヌメールによって発見されるまで、町は砂に埋まっていました。
遺跡としては、かなり大規模のもので、アテネ、シラクサに次ぐ、アクロポリス(丘の上にある城塞)があり、ヘレニズム時代の遺物が多く発見されています。特にゼウス神殿は、ドーリア式の列柱が並び、北アフリカでも最大規模のギリシャ神殿といわれるほど。
危機遺産
2016年から政情が不安定という理由で、「危機遺産(危機にさらされている世界遺産)」に登録されています。
キュレネの考古遺跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
キュレネが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
エジプトとカルタゴ(現在のチュニジア北部)など、ギリシャ都市だけではなく、多くの都市や国家と交易を重ねて交流をしていたという点。
登録基準(iii)
18世紀に発見されたキュレネは保存状態がよく、かつてのギリシャの植民都市から発展した町の様子が現在でも見られるということ。
登録基準(vi)
地球の大きさを初めて測定したエラトステネスを輩出したりと、学術都市としても側面があったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
キュレネは、サントリーニ島からの移住者たちが作り上げた一大交易都市で、他のギリシャ都市だけなく、古代エジプトやカルタゴなどと交易するほど栄えた町でした。4世紀にはほぼ崩壊していたので、保存状態もよく、キュレネが栄えていた頃の姿を現在でも確認できます。ローマの植民都市としては、再建したギリシャ都市として評価。
ちなみに、キュレネはギリシャ神話では女神となり、アポロンの恋人であり、無理やりアフリカに連れてこられた可愛そうな人です。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。