登録区分 | 文化遺産 |
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登録基準 | (1), (2), (3), (4), (6) |
登録年 | 1987年 |
北京の万里の長城(八達嶺長城、はったつれいちょうじょう)は「万里の長城」の構成資産の一つ。万里の長城は中国全土で2万km以上にも渡る規模になりますが、ここは北京の郊外に位置し、手軽に訪れることができることから観光客に人気。ところで、八達嶺長城はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここでは八達嶺長城がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、八達嶺長城について詳しくなること間違なし!
北京の万里の長城(八達嶺長城)とは?
万里の長城は、紀元前3世紀に、秦の始皇帝(紀元前259年〜紀元前210年)によって建造され、明(1368〜1644年)の時代に整備された「本線」としては、東西全長2万kmを超える城壁のこと。現在は一部のみ現存していますが、八達嶺長城は中国の首都・北京の北西約70kmに残る長城で「万里の長城」と呼ばれる風景は大体ここの写真を使用しています。
現在の遺構は明の時代に建造され、レンガ造りの長城が並び、一定間隔で望楼などが点在する風景はまさに、誰もがイメージする「万里の長城」。ロープウェイもある上に、市内からのアクセスの良さから観光客が多く集まります。他にも北京から北へ約90kmの位置にある「慕田峪長城」も明の時代のもので、こちらも保存状態は良好。
八達嶺長城はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
八達嶺長城が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
宇宙からも確認できるほどに広大な万里の長城は、自然の地形を利用した偉大な建築物であるという点。
登録基準(ii)
中国北方で万里の長城を建設することによって、中国人の居住地が拡大していったということ。
登録基準(iii)
保存状態の良い嘉峪関や明の時代の城壁部分などは、万里の長城が長年に渡って建造され続けていたということを証明しているという点。
登録基準(iv)
万里の長城は長年に渡って発展した防衛設備が見られる軍事建築のユニークな例であるということ。
登録基準(vi)
中国の詩や文学のテーマになるほど、万里の長城は異民族から中国を防衛するという重要なシンボルであったという点。
世界遺産マニアの結論と感想
八達嶺長城は、軍事建築として優れているということだけでなく、北方との異民族との戦いの足跡が見られ、中国においては文化的なシンボルにもなっているという点で評価されています。
ちなみに、ここでは北側の長城を「女坂」、南側の長城を「男坂」と呼んでいますが、これは日本人だけで使用されているようで、別に現地では使用されていません。日本の登山道でよく使用されている表現であるために誰かが命名したものがずっとそのまま利用されているのかもしれませんね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。