イギリスの世界遺産「ビューマリス城」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1), (3), (4)
登録年1986年

ビューマリス城は「グウィネズのエドワード1世の城郭と市壁」の構成資産の一つ。港湾都市ビューマリスに築かれ、当時の軍事建築の最高傑作ではあるものの、未完成で終わってしまった城。ところで、ビューマリス城はなぜ世界遺産なのでしょうか?

ここではビューマリス城がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ビューマリス城 について詳しくなること間違なし!

目次

ビューマリス城とは?

画像素材:shutterstock

グウィネズ州の北西に浮かぶアングルシー島にあるビューマリス城。ここはウェールズでも反乱が多く発生してしたために、イングランド王のエドワード1世により1295年に建造が開始されました。しかし、城は城郭建築の権威であったマスター・ジェイムズによって建造されたものの、あまりにも壮大な計画であったために予算が足りず、さらにはスコットランドのと戦争によって財源が消費されたために、1330年に作業は中断。その後、完成されることがないまま、1609年に城は完全に放棄されてしまいました。

よって、未完成の城ではあるものの、六角形の二重の城壁を持ち、非常にバランスが良いもの。外殻には12基の小塔、内閣には6基の巨大な塔が備えられていて、13世紀後半から14世紀初頭の軍事建築の最高の例でもあります。

ビューマリス城はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

画像素材:shutterstock

ビューマリス城が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
ビューマリスとハーレフの城は、13世紀後半の軍事建築の特徴でもある二重壁で囲まれた同心円の構造と、中央に合わせたというプロポーションと石積みの美しさという点で非常にユニークな作品です。この2つは国王の主任建築家であり、1290年から1293年までハーレフの司令官であったセント・ジョージのマスター・ジェイムスの傑作であるという点。

登録基準(iii)
当時の政府が結成した委員会によってグウィネズの城を建設する際に、イングランド全域から労働者を連れてきていて、現場で切り出された石の使用についても文書に記録が残っています。それらは建設工事の資金調達の概要も示していて、労働者と住民の日常生活もわかり、中世の歴史における貴重な資料の一つであるということ。

登録基準(iv)
グウィネズの城郭と市壁は、13世紀後半から14世紀初頭のヨーロッパの軍事建築で最も優れた例で、当時ここではウェールズの反乱によって妨げられつつも、最小限の修復しかされておらず、砦、跳ね橋、城門、堡塁、地下牢、塔、城壁など、中世の建築様式のさまざまなパターンが見られるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

ビューマリスは未完成であるものの、13世紀後半から14世紀初頭のヨーロッパの軍事建築で最も優れた例であり、当時の人々の暮らしが分かる貴重な資料にもなっているという点で評価されています。

ちなみに、当時の最先端技術が施された城であったために、トイレは周囲の堀から水を利用して排水されるという最先端の構造だった様子。しかし、うまく機能しなかったようで…。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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