登録区分 | 文化遺産(危機遺産 2017年~) |
登録基準 | (2), (4), (6) |
登録年 | 2001年 |
ベルヴェデーレ宮殿は「ウィーン歴史地区」の構成遺産の一つ。もともとは貴族であったオイゲンによって18世紀に築かれたバロック様式の華麗な宮殿でしたが、現在は美術館として利用されているもの。ところで、ベルヴェデーレ宮殿はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではベルヴェデーレ宮殿がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ベルヴェデーレ宮殿について詳しくなること間違いなし!
ベルヴェデーレ宮殿とは?
ウィーン市内でも南東部に位置する宮殿で、ベルヴェデーレとは「美しい眺め」という意味。ここはハプルブルク家に仕えた軍人であり、政治家であったプリンツ・オイゲン(1663〜1736年)が、18世紀前半にウィーン南部に夏の離宮として建造したもの。広大な敷地の南側にある下宮はオイゲンの居住空間で、北側にある上宮は迎賓館として利用されていました。
オイゲンの死後は、ウィーン会議の会場になったり、ハプスブルク家が所有していました。上宮は美術館として1891年まで公開され、これは世界でも最初期の美術館の一つ。第二次世界大戦で被害を受けてしまったために1953年まで修復が続けられました。1955年からは「オーストリア・ギャラリー」として、オーストリアの画家の作品を中心とした美術館になっています。
ベルヴェデーレ宮殿はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ベルヴェデーレ宮殿が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ウィーンの歴史地区は、2000年以上にも渡り、文化の交流を通じて都市の発展が見られるという点。
登録基準(iv)
ウィーンの歴史地区は、中世から19世紀までヨーロッパの文化や政治の発展が見られるということ。
登録基準(vi)
16世紀以降ウィーンは音楽の都として広く認知されているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ベルヴェデーレ宮殿は、18世紀に築かれた比較的新しいバロック様式の宮殿ではありますが、ここは政治の舞台ともなったこともあり、ウィーンの発展が見られるという点で評価されています。
ちなみに、オーストリア・ギャラリーは近代美術が多く置かれていて、ウイーン分離派として有名なグスタフ・クリムト(1862~1918年)の代表的な作品『ユディトI』や『接吻』があることでも知られます。他にもベルギーにあるストックレー邸の内装も担当していて、彼の作品は世界遺産にも貢献しているのは割と知られていないところ。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。