京都府の世界遺産「平等院」とは?鳳凰堂も含めて世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2),(4)
登録年1994年

平等院は「古都京都の文化財」の構成遺産の一つ。平安時代後期に築かれた鳳凰堂は十円硬貨のデザインともなっているほどに傑作。ところで、平等院はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは平等院がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、平等院について詳しくなること間違なし!

目次

平等院とは?鳳凰堂とセットになった理由は?

平等院鳳凰堂
画像素材:shutterstock

宇治市にある寺院で、平安時代の宇治は貴族の別荘が多く、現在の建築物は藤原道長の別荘であった「宇治殿」がベースとなっています。そして、別荘は1052年に息子である関白・藤原頼通が寺院に改修しました。当時は末法思想が強く、彼は1053年に西方極楽浄土を表現した浄土式庭園をここに造園し、そこに阿弥陀堂(後の鳳凰堂)を建立しました。

周囲の浄土式庭園や寺院は南北朝時代の1336年の戦乱によって、鳳凰堂以外はほとんどが焼失。その後は衰退し、江戸時代になると浄土宗・天台宗寺門たちによって管理されるものの、荒廃が進んでいきました。これらが本格的に修理されるのは明治になってから。

鳳凰堂

鳳凰堂は、中堂と北翼廊、南翼廊、尾廊の4棟で構成されていて、阿字池の中島に浮かぶように配置されています。かつては阿弥陀堂と呼ばれていただけあって中堂には本尊・阿弥陀如来坐像が置かれていて、これは当時評価の高かった仏師の定朝(じょうちょう)による傑作。

中堂の屋根に設置されていた鳳凰像は、創建当時のものとされ、現在は博物館である「平等院鳳翔館」で保管されています。ちなみに、これは2004年から発行されている日本銀行券の「E壱万円券」の裏面に描かれているということでもおなじみですね。

平等院はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

平等院鳳凰堂
画像素材:shutterstock

平等院が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
京都は8〜17世紀にかけて、宗教と世俗的な建築様式や庭園設計が発展した場所であり、日本伝統文化の形成に貢献してきました。そして、庭園設計は19世紀以降、世界中に大きな影響を与えたという点。

登録基準(iv)
京都の文化財に見られる建築と庭園設計は、日本の前近代の文化における最高の表現であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

平等院は、平安時代後期の思想などが反映されていて、当時としても最高傑作の建築物であった鳳凰堂が今でも現存しているという点で評価されています。

ちなみに、十円玉硬貨には、1951年から1955年、1978年から1958年に製造された、通称「ギザ十」という縁に溝が彫られているバージョンがあり、これは周囲を削って地銀にしないようにするための工夫でもありました。しかし、1957年に縁に溝のある百円玉が登場したことで、触っただけでは分かりづらいということでギザ十が廃止になったという経緯があります。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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