京都府の世界遺産「平等院鳳凰堂」とは?その歴史や建てた人物も含めて世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2),(4)
登録年1994年

平等院は「古都京都の文化財」の構成遺産の一つ。平安時代後期に築かれた鳳凰堂は十円硬貨のデザインともなっているほどに傑作。ところで、平等院はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは平等院がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、平等院について詳しくなること間違いなし!

目次

平等院鳳凰堂とは?歴史と場所も含めて解説

平等院のある場所は?鳳凰堂を建てた理由は?

平等院鳳凰堂
画像素材:shutterstock

宇治市にある寺院で、平安時代の宇治は貴族の別荘が多く、現在の建築物は藤原道長(966〜1028年)の別荘であった「宇治殿」がベースとなっています。別荘は9世紀末ころに光源氏のモデルともいわれる嵯峨源氏の源融(みなもとのとおる)が建造し、その後は天皇の離宮として利用され、最終的には道長が998年に別荘を所有。

別荘は道長の死後、1052年に息子である関白・藤原頼通(992〜1074年)が寺院に改修。当時は末法思想が強く、もともとは仏教の教えが廃れるという解釈から、終末論的思想へと繋がり、社会が不安定となっていました。そのため、当時の貴族は西方極楽浄土の教主とされる阿弥陀如来を祀った仏堂を多く建造していったのです。

鳳凰堂の特徴は?

平等院鳳凰堂
画像素材:shutterstock

そういった背景もあり、頼通は1052年に西方極楽浄土を表現した浄土式庭園をここに造園し、そこに阿弥陀堂(後の鳳凰堂)を建立。それ以外にも多くの仏堂が建造され、本堂には密教の主尊である大日如来が祀られていました。鳳凰堂は東へと面して建てられていて、西方に極楽浄土があることを示したもの。

しかし、周囲の浄土式庭園や寺院は南北朝時代の1336年の戦乱によって、鳳凰堂以外はほとんどが焼失。その後は衰退し、江戸時代になると浄土宗・天台宗寺門たちによって管理されるものの、荒廃が進んでいきました。鳳凰堂を正面から眺めると、翼を広げた鳥のように見えることから、江戸時代初めころに「鳳凰堂」と呼ばれるように。これらが本格的に修理されるのは明治になってから。現在の鳳凰堂は、中堂と北翼廊、南翼廊、尾廊の4棟で構成されていて、阿字池の中島に浮かぶように配置されています。

鳳凰堂を建造した人物・藤原頼通とは?

平等院鳳凰堂
画像素材:shutterstock

藤原頼通は、貴族の名門・藤原北家に生まれ、さらには摂政・太政大臣であった藤原道長の長男として誕生し、関白を50年にも渡って務めた人物。しかし、晩年は各地で争いが続き、天皇家へと入内(じゅだい)した娘たちも男子が生まれることがなく、藤原氏の権力体制が揺らいでいき、摂関家の繁栄が終わりとなる時代でした。彼は関白の職を辞すると、当時の貴族の別荘が並ぶ宇治に隠居。

平安時代後期は、天災・人災が続いたため、父の別荘だった宇治殿を現世の極楽浄土として、仏像を安置する仏堂や庭園が並ぶ寺院として改修。当時建造された建物と仏像、壁画、庭園がすべて残っているのは現在では平等院だけ。

鳳凰堂・中堂の内部には阿弥陀如来像がある

阿弥陀如来像/平等院鳳凰堂
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かつては阿弥陀堂と呼ばれていただけあって中堂には本尊・阿弥陀如来坐像が置かれていて、これは当時評価の高かった仏師の定朝(じょうちょう)による傑作。「仏の本様」とされ、後の仏像製作にも大いに影響を与えました。彼の作品で現存しているのはここだけなので、大変貴重なもの。寄木造漆箔、像高284cm。そして、天蓋(てんがい)の中央部は大型の八花鏡がはめられていて、光を反射して幻想的な空間を演出していたとされています。

中堂の外観は2階建てに見えますが、これは一重裳階付(いちじゅうもこしつき)と呼ばれる、広大なスペースとなっています。堂内には、日本最古の大和絵風「九品来迎図(くほんらいこうず)」が残っていて、臨終の際に阿弥陀如来が訪れるという様子が描かれていました。

鳳凰堂の屋根に置かれていた鳳凰像は現在はレプリカ?

鳳凰像/平等院鳳凰堂
画像素材:shutterstock

中堂の屋根に設置されていた鳳凰像は、創建当時のものとされています。1968年までは中堂に置かれていましたが、現在は保存の観点から博物館である「平等院鳳翔館」で保管。よって、現在の屋根の上に置かれた鳳凰像はレプリカです。ちなみに、これは2004年から発行されている日本銀行券の「E壱万円券」の裏面に描かれているということでもおなじみですね。

鳳凰像は10円玉のデザインとなっている?

10円玉/平等院鳳凰堂
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1953年より発行されている「十円青銅貨」の表面に描かれているのは鳳凰堂。当時はまだ世界遺産という概念がなく、これが選ばれた理由は、平等院によると「日本の代表的な文化財で、建物に特徴があるから」とのこと。

平等院はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

平等院鳳凰堂
画像素材:shutterstock

平等院が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
京都は8〜17世紀にかけて、宗教と世俗的な建築様式や庭園設計が発展した場所であり、日本伝統文化の形成に貢献してきました。そして、庭園設計は19世紀以降、世界中に大きな影響を与えたという点。

登録基準(iv)
京都の文化財に見られる建築と庭園設計は、日本の前近代の文化における最高の表現であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

平等院は、平安時代後期の思想などが反映されていて、当時としても最高傑作の建築物であった鳳凰堂が今でも現存しているという点で評価されています。

ちなみに、十円玉硬貨には、1951年から1955年、1978年から1958年に製造された、通称「ギザ十」という縁に溝が彫られているバージョンがあり、これは周囲を削って地銀にしないようにするための工夫でもありました。しかし、1957年に縁に溝のある百円玉が登場したことで、触っただけでは分かりづらいということでギザ十が廃止になったという経緯があります。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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